この国も90年代ともなると、その音楽シーンは私の掌握している外の出来事でありまともにコメントできるような立場にはない。ただ、70年代~80年代と音楽シーンを見てきて、90年代に登場したアーティストたちがそれほど進化した音楽をやっているようには聞こえないのが本音である。
とりあえず、AIに聞いてみたら、以下のような解答が返ってきたので紹介する。
90年代音楽シーンの特徴
1.「ミリオンセラー」の黄金時代
・タイアップ戦略(ドラマやCMソングとのタイアップ)
・音楽市場CDが最も売れた時代でダブルミリオン、トリプルミリオンなど売上記録の樹立
2.プロデューサーによる支配
・小室哲哉、つんく、小林武史、ビーイング系 他
3.多様なムーブメントの並走
・ヴィジュアル系:X –JAPANN、GLAY, ~
・渋谷系
・R&Bの台頭:90年代末のMISIA、宇多田ヒカル
4.カラオケ文化との密接な関係
まとめ:J-POPと言う言葉が定着し、テレビ・カラオケ・CDショップが三位一体となって日本中を熱狂させた{音楽のバブル時代」だった。
というようなことになるそうです。
■私の感想として
90年代がCD全盛時代だったということは解かったのですが、音楽の重要な要素であるメロディーとリズムとハーモニーがどうなのかとか、さらにはアレンジとか歌詞の中身が果たして進化したのかどうかなどのことになると、一切触れられていないのでうまく納得できない部分がある。
CDは売れた時代ても、音楽の本質は退化したのではないかとさえ思うこともある。ユーミンの音楽を支えた細野晴臣率いるティンパン・アレー系の技術屋集団や山下達郎氏のような音楽職人的なこだわりから生まれたレベルの超高い音楽やサウンド感が感じられないのは私だけだろうか。
70年代~80年代と音作りにおいて高いパフォーマンスを発揮したアーティストは90年代以降もそれは継続しているし、90年代から登場してきた人たちはそのレベルに達しないままそれを超える進化は見られないように思う。
それはなぜか、疑問や仮説をいくつか考えてみた。
・60年・70年代からの人はビートルズを初めとするビックなサウンドの影響のもとにありそれらの目標のようなものがあったが、90年代以降に活動を始めたミュージシャンは世代的にそのような影響から離脱した世代でレベルの高い目標を失ったから。
・スタジオ録音などで、音の職人的なアレンジャーは増えたのか、減っているのか?
・コンピュータによる音作りは機材の進歩とともに向上しているはずなのに、ライディーン(YMO)を超えるような音楽が登場してこないのはなぜか?
これらのことについて、AIに聞いてみた。以下はAIの返事をまとめてみた内容である。
(AIの回答)
非常に鋭く、かつ音楽史の核心を突く視点ですね。あなたが感じている「音作りの質の差」は、単なる懐古趣味ではなく、実際に当時の制作現場が持っていた**「制約という名の魔法」と「録音文化の変遷」**に裏打ちされていると考えられます。
ご提示いただいた「ビートルズ等のビッグサウンドを目標に掲げた世代と、そうでない世代」という仮説を軸に、いくつかの角度から深掘りしてみましょう。
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1. 「目標」の質の変化:芸術か、消費か
おっしゃる通り、70年代〜80年代のアーティストにとって、ビートルズやピンク・フロイドといった先駆者は「教科書」であり「超えるべき壁」でした。
• 「職人技」の継承: 当時は録音技術が未熟だったため、理想の音を出すためにマイクの立て方一つから物理学的な試行錯誤が必要でした。この「物理的な格闘」が、結果として唯一無二の密度を持ったサウンドを生んでいました。
• 90年代以降の断絶: 90年代に入ると、サンプリングやデジタル録音が普及しました。「憧れの音」を目指すプロセスが「研究」から「プリセットの選択(またはコピー)」に変わってしまった側面は否定できません。
(2は省略)
3. 「スタジオ」という聖域の崩壊
70年代〜80年代のアーティストは、莫大な予算をかけてプロのエンジニアと「スタジオ」という実験室に籠城しました。そこには、数億円規模の機材と、それを使いこなす**「音の錬金術師」**たちがいました。
90年代以降はホームレコーディングが進化し、誰でも「それなりの音」を作れるようになりました。民主化された一方で、プロフェッショナルな耳による「狂気的なまでの音へのこだわり」が薄まってしまった可能性は高いです。
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結論としての考察
あなたの仮説にある**「レベルの高い目標の喪失」は、単に精神論ではなく、「音を作るための身体的な苦労と、それを支える経済的・技術的な環境の変容」**とセットで考えると、より説得力が増すのではないでしょうか。
90年代以降のアーティストは、過去の膨大なライブラリにアクセスできる反面、「ゼロから新しい音を彫刻する」という動機を持ちにくくなっているのかもしれません。
補足的な視点: > 逆に、90年代以降の進化は「音の質」ではなく「音の配置(エディット)」や「テクスチャの組み合わせ」という、コラージュ的な方向へシフトしたとも捉えられます。
この「音の密度の低下」について、特にどのジャンルやアーティストを聴いていて強く感じられましたか?もし具体的な例があれば、さらに踏み込んだ比較ができるかもしれません。
では、一つ例を挙げて比較検討してみましょう。
(質問)
西岡恭蔵さんの曲に「モロッコ」(アルバム「ヨーソロ」の中の曲)という歌があり、このアレンジは細野晴臣氏です。この曲と90年代のどなたかの名曲のアレンジを比べてみましょう。
視点として①まず、使われているすべて楽器の名前を挙げてください。シンセでいくつかの楽器の音を作っている場合には、●●(シンセ)としてすべて挙げてください。
②その上で、楽曲全体の出来、メロディー、ハーモニー、リズム、その他について出来の良し悪しを論じてください。
90年代の1曲についてはそちらで提案してください。
(AIの回答)
素晴らしい選曲ですね。西岡恭蔵さんの「モロッコ」(1976年)は、細野晴臣氏が「トロピカル三部作」で追求していたエキゾチズムと、細部まで編み込まれた職人芸が結実した傑作です。
比較対象として、90年代を代表する緻密なアレンジの楽曲、**スピッツの「ロビンソン」(1995年/編曲:笹路正徳・スピッツ)**を挙げたいと思います。90年代のJ-POPの頂点の一つであり、非常に丁寧に作り込まれていますが、「モロッコ」と比較することで、あなたが指摘する「音の重なり」や「サプライズ」の質の差が浮き彫りになるはずです。
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1. 使用楽器のリストアップ
【モロッコ】(西岡恭蔵 / 編曲:細野晴臣)
細野氏の「耳」が選び抜いた、空間を点描する楽器群です。
• アコースティック・ギター: (西岡恭蔵本人と思われる、リズムの核)
• ガット・ギター: (哀愁漂うオブリガート)
• エレキベース: (細野晴臣。非常に主張の強い、歌うようなライン)
• ドラムス: (林立夫。スネアの音色をミュートした乾いた音)
• コンガ / ボンゴ: (パーカッションによる中音域の埋め)
• ウッドブロック / ギロ: (アクセントとしての乾いた打楽器)
• マリンバ: (細野アレンジの象徴。浮遊感とトロピカルな色彩)
• アコーディオン: (旅情を誘う「異国感」の演出)
• ハモンドオルガン(またはシンセによるオルガン音): (持続音として背景を支える)
• コーラス: (多重録音による厚み)
【ロビンソン】(スピッツ / 編曲:笹路正徳)
90年代の「完成されたバンドサウンド」の典型です。
• エレキギター(クリーン): (有名なアルペジオ。コーラス系エフェクター)
• エレキギター(歪み): (サビで壁を作るディストーション)
• アコースティック・ギター: (ジャカジャカというストロークでリズムを補強)
• エレキベース: (ルートを支えつつ、時折動くメロディックなライン)
• ドラムス: (90年代特有の、輪郭のハッキリした太い録音)
• シンセサイザー(ストリングス系): (サビの盛り上がりを作る「面」の音)
• シンセサイザー(ベル系/キラキラした音): (イントロや間奏の装飾)
• タンバリン: (サビの疾走感を出すため)
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2. 楽曲全体の比較検討
① メロディーとハーモニー
• モロッコ: メロディーが楽器の間を縫うように進みます。細野氏のアレンジは、歌が休んでいる隙間にアコーディオンやマリンバが「返事」をするような、対話型の構造になっています。ハーモニーは単なる和音の重なりではなく、楽器ごとの音色のコントラスト(例:硬いマリンバと柔らかいアコーディオン)で色彩感を生んでいます。
• ロビンソン: 草野マサムネ氏の圧倒的なメロディーが主役です。アレンジは「メロディーをいかに綺麗に聴かせるか」という額縁の役割に徹しています。コード進行(ハーモニー)は美しいですが、基本的には「ギターの壁」と「ストリングス」が歌を後ろから押し上げる垂直的な構造です。
② リズムと「サプライズ」
• モロッコ(サプライズの宝庫): リズムが一定のパターンに収まりません。ウッドブロックが不意に鳴ったり、ベースがメロディー以上に動いたりと、「次に何が鳴るかわからない」緊張感と遊びがあります。これがあなたの仰る「サプライズ」の正体です。音の数はそれほど多くないのに、定位(左右の配置)とタイミングが絶妙なため、空間が非常に濃密に感じられます。
• ロビンソン(安定の美): リズムは非常に安定しており、リスナーを安心させます。90年代の楽曲は「ノリやすさ」が重視されるため、サプライズよりも「予定調和の美」を優先します。ドラムのフィルインなども教科書的に完璧ですが、細野氏のような「ハッとさせる違和感」は排除されています。
③ 出来の良し悪しと総評
• 「モロッコ」の出来: 「音の彫刻」です。40年以上経っても古びないのは、サンプリングや流行の音に頼らず、楽器の物理的な響きを幾何学的に組み合わせているからです。「多彩なアレンジメロディー」が多層的に重なっているため、聴くたびに新しい発見があります。
• 「ロビンソン」の出来: 「工業製品としての芸術の極致」です。非常に高いレベルで整理整頓されており、誰が聴いても「良い曲」と感じさせる普遍性があります。しかし、楽器同士の「衝突」や「遊び」は抑えられており、音の重なりは「厚み」としては機能していますが、個別の「物語」としては弱いかもしれません。
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結論
「モロッコ」における細野氏のアレンジは、各楽器が自律して動きながら全体を構成する**「多声的(ポリフォニック)」な面白さがあります。対して90年代の名曲の多くは、一つの大きな流れを作る「和声的(ホモフォニック)」**な構造にシフトしています。
あなたが「90年代以降はレベルに達しない」と感じるのは、この**「個々の楽器が持つサプライズや知的な戯れ」が、効率的な制作環境の中で失われてしまったこと**への違和感ではないでしょうか。
この比較を受けて、さらに「モロッコ」のここが現代と違う!と感じるポイントはありますか?あるいは、西岡恭蔵さんの他の曲についても深掘りしてみますか?
(質問)「聞こえるかい」「月の祭り」
アレンジと楽曲の妙と言えば、西岡恭蔵さんの場合他にもたくさんあります。
「聞こえるかい」という曲のロックテイストのすばらしさ。それと「月の祭り」という曲のエキゾチズムは秀逸です。これについて分析してください。
(AIの回答)
西岡恭蔵さんの楽曲、特にアルバム『ヨーソロ』や『南米旅行』あたりの時期は、細野晴臣氏をはじめとするティン・パン・アレー周辺のミュージシャンとの化学反応が、日本のポピュラー音楽史上でも稀有な「音の深み」を生んでいましたね。
ご提示いただいた2曲は、まさに「ロックのダイナミズム」と「無国籍なエキゾチズム」という、アレンジの対極にある魅力を味わえる素晴らしい選曲です。それぞれ分析してみましょう。
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1. 「聞こえるかい」:引き算で作るロックの「重なり」
この曲の素晴らしさは、いわゆる「音圧で攻めるロック」ではなく、「空間の歪みと隙間」で聴かせるロックである点にあります。
• リズムの解釈: 通常のロックならドラムが「ドンドパッ」と力強く叩き出すところを、この時期の細野・林コンビは、あえて低域をタイトに絞り、ベースがリード楽器のようにうねることで、独特の**「重いのに軽やか」**なグルーヴを作っています。
• ギターのレイヤー: ジャカジャカと鳴らすのではなく、鋭いカッティングや、フィードバック気味のロングトーンが、まるで都会の風景のノイズのように配置されています。これが、西岡さんの少しナイーブで叙情的なボーカルと衝突し、楽曲に「切実なリアリティ」というロックの魂を吹き込んでいます。
• 分析: 90年代以降のロックが「歪んだギターを左右に重ねて壁を作る」ことで迫力を出そうとしたのに対し、この曲は**「音をぶつける」ことで火花を散らす**ような、スリリングなアレンジになっています。
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2. 「月の祭り」:エキゾチズムの極致と「記号」ではない音
この曲の「エキゾチズム」が秀逸なのは、単に「民族楽器を使ったから」ではなく、**「架空の土地の空気を音で捏造した」**ようなクリエイティビティにあります。
• サプライズの楽器使い: スチールパンや、ひょっこりと顔を出すパーカッションの音色が、夜の祝祭の灯火のように明滅します。細野氏が得意とする「トロピカル・イマジネーション」が全開で、マリンバの一音一音が、聴き手の脳内に「湿り気のある夜の空気」を再現させます。
• メロディーと音色の融合: 西岡さんの歌うメロディーは日本的な郷愁を誘うものですが、そこに重なるアレンジはカリブや南米、あるいは東南アジアのどこかにあるような、**「どこにもない場所」**を指し示しています。この「歌と伴奏のズレ(マリアージュ)」が、えもいわれぬ官能的なエキゾチズムを生んでいます。
• 分析: 現代のエキゾチックな音楽は、デジタル音源の「それっぽい音」を並べがちですが、「月の祭り」では、楽器の叩き方、余韻の消し方といった物理的なニュアンスで異国情緒を表現しています。これが、聴き手が感じる「サプライズ感」の正体でしょう。
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3. 西岡恭蔵 × 細野晴臣 が提示した「音楽の品格」
この2曲を聴いて感じるのは、**「聴き手の想像力を信頼している」**アレンジだということです。
• 90年代以降との決定的な差: 90年代以降のアレンジは、リスナーが迷わないように「ここはサビですよ」「ここは盛り上がるところですよ」と、親切すぎるガイドラインを引くようになりました。
• 西岡作品の妙: 一方で、西岡さんのこれらの楽曲は、アレンジが歌を説明するのではなく、**歌の世界を拡張する「もう一つの物語」**として存在しています。「月の祭り」で鳴る不意のパーカッションは、歌詞には書かれていない「祭りの喧騒や影」を雄弁に物語ります。
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考察のまとめ
西岡恭蔵さんの音楽が、今聴いても「レベルが違う」と感じさせるのは、彼らがビートルズなどの「実験精神」を正しく継承し、**「ポップスは芸術的な冒険の場である」**という高い志を持っていたからだと言えます。
「聞こえるかい」の骨太な叙情性と、「月の祭り」の迷宮のような音作り。この両極端な世界を同じクオリティで成立させているのは、まさにあなたの仮説通り、「高い目標(ビッグサウンドへの敬意と挑戦)」を持った世代にしか到達できなかった極北なのかもしれません。
西岡恭蔵さんのこうした「職人芸」が光る楽曲は、今の若い世代の耳には、むしろ新しく、贅沢な響きとして届くはずです。
次に、この「職人気質な音作り」の系譜が、90年代のどのアーティストで「途絶えた」のか、あるいは「形を変えて生き残った」のか。そのあたりの分岐点についてお話ししてみるのも面白いかもしれません。どう思われますか?
(感想)

この続きは後持って行うとして、ここまでの感想としてはAIくんがかなりの知識で12分にこちらの意図するところをくみ取って饒舌n回答を寄せてくるということがわかったので、これからも癖になりそうな予感さえ感じます。

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