あいみょん「マリーゴールド」について考えてみた件

曲のテーマ性

YouTubeで、あいみょんの「マリーゴールド」という曲を、ギター弾き語り版とアルバム曲の両方を聞いてみた。

「マリーゴールド」 あいみょん

風の強さちょっと
心をゆさぶりすぎて
真面目に見つめた 君が恋しい

でんぐり返しの日々
可哀想なふりをして
だらけてみたけど
希望の光は
目の前でずっと輝いている幸せだ

麦わら帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似ている
あれは空がまだ青い夏のこと
懐かしいと笑えたあの日の恋

「もう離れないで」と
泣きそうな目で見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて抱きしめて離さない

本当の気持ち全部
吐き出せるほど強くはない
でも不思議なくらいに
絶望は見えない

目の奥にずっと写るシルエット
大好きさ
柔らかな肌を寄せあい
少し冷たい空気を2人
かみしめて歩く 今日という日に 何と
名前をつけようかなんて話して

ああアイラブユーの言葉じゃ
足りないからキスして
雲がまだ2人の影を残すから
いつまでもいつまでもこのまま

遥か遠い場所にいても
繋がっていたいなあ
2人の想いが同じでありますように

麦わら帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似てる
あれは空がまだ青い夏のこと
懐かしいと笑えたあの日の恋

     (以下省略)

どちらも悪くない。世代を超えた普遍性は別としても、メロディと歌詞、そしてアレンジも上手く、相乗効果を発揮している。

とくにアコースティックギターの弾き語りの方では、昔のフォークシンガーたちの歌のテーストにもよく似ていて共通していると感じた。彼女の歌はどんなカテゴリーに分類されているのだろうか?

私には、遅れてやって来たフォークシンガーのような感じがした。アルバム曲?のアレンジでは、彼女のスケートボードをする映像のバックには、主にエレキアレンジのこの歌が流れていたが、これも上手くアレンジされていた。こちらも悪くない。

彼女は、日頃どんなコンサート形式をやっているのだろうか? YouTubeにあったようにアコギ1本の弾き語り形式のステージであれば、私は、もう一人リードギターを配置した方がいいのではないだろうかと思う。その方が、音に奥行きが出るし、ハーモニーもつけられるからである。

もし、もう一つあったアルバム?のような感じのアレンジで、エレキをバックに付けたいのならば、バンド形式で少なくとも数人のバックバンドが必要になる。そうなれば、歌作りのスタートからして、ロックを意識した曲作りをしていかなければならないだろう。彼女は何を目指すのだろうか?少なくともどちらの方法へ向かうのか興味がある。

■歌の内容を分析してみよう

まず、イントロや曲間(歌詞と歌詞の間の演奏部分)が短く、今時そんなものが多いと言ってしまえば身も蓋もないのだが、私としては音楽の質を上げたいのなら、イントロや曲間の音楽性の拡張、それはそれで重要に感じる。

また、ハーモニー、バックコーラスもあったほうがいい。そしてまた「うーうー、ランラン」のような言葉ではない音としての歌詞部分なども盛り込めば、もっとよくなると思う。

歌詞では「でんぐり返しの日々」というくだりが若い時代の日々の目まぐるしく変わる様が表わされていて、オリジナルな表現だろう。
また、メロディーのサビの「麦わらの帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似てる」は、具体的な言い回しでリアルさを増し、成功している。

これに続く、「あれは空がまだ青い夏のこと 懐かしいと笑えたあの日の恋」が、時間的な奥行きとして生きている。ただし、でんぐり返しの日々を考えると、夏の恋を秋か冬にはもう懐かしがっているのかも知れない。そんなごくごく短い恋なのかも。

となると、あいみょん自身もそれほどには時間的な奥行きを意識していないのかも知れない。一方では、そんな展開の速さは若さゆえなのかも知れないが。

ところで、これは男歌としての、女性に対する「君」という表現なのか、女が自分を「僕」といい、男(彼)に対して「君」と言っているのか、どちらだろうか? 聞いていて少し戸惑うが、どちらかもっと明瞭にわかる詩の構造にしてもいいかも知れない。

■テーマとの関係で考えるとどうなるのか?

歌のテーマで考えると、これは曲の頭からしっぽまで「恋(ラブ)」の歌として出来上がっていて、ほぼそこから半歩も踏み出してはいないように思える。

例えば自分の夢や、仕事、生活(学校生活や受験、アルバイト、資格取りetc.etc…)等々との関りや繋がりが、唯一の接点としての言葉である「でんぐり返しの日々」との関係で上手く語られていれば、もっと違った奥行きや広がりを表現できたかも知れない。

もちろん、ラブソングは100%ラブソングで構わないという考えもあるので、もちろん否定はしないが、何曲もラブソングだけで勝負んをしようとしてもいづれは自分でも辟易するようなウソが混ざるようになるからである。

ユーミンのように、常にメイクドラマ(ストーリー性)を完璧に行う場合にはまた別の可能性が追求できることになるので、それはそれとしても、あいみょんの場合は、歌の背景に若者の悩ましい時代性を盛り込むとか、どんな「でんぐり返しの日々」なのか表現してみるのも面白いかと思う。

■老婆心ながらの、サジェスチョン

この歌が、とてもヒットしたおかげで彼女はかなりメジャーになったのだと思うが、これから彼女がこの歌を越えられずに苦しむ日々が続くのではないだろうかと心配してしまうのです。

彼女は、自分の動物的な感性100%だけで歌作りをしてきたような人らしいから、たまたま、出来た素晴らしい曲が大ヒットしたことが、逆に仇とならないことを祈りたいものです。

そうならないためには、こうやって私のレクチャーする歌作りを学び、「メイクドラマ」としてのストーリー性のある歌詞をもっと磨きをかけて書くとか、空間的な広がりを歌の世界にうんと取り込むとか、試してみることを彼女にオススメしたいものです。

また、詞を他の作詞家に外注してみたり、真逆の発想を持つアレンジャーの感性を導入してみるなどのこともアリかなと思います。

昔、吉田拓郎氏が岡本おさみ氏の作詞でいくつもビックな曲ができたのにも、そういう異質な感性のぶつかり合いから生まれる爆発があったからだと思えます。

アレンジャーも選ぶべきでしょう。細野晴臣氏のアレンジした西岡恭蔵さんの「モロッコ」のすばらしさ、加藤和彦氏のアレンジした泉谷しげる氏のアルバム「80のバラッド」のロックバラード。等々、成功例はいくつもあります。非常に異質な感性のぶつかり合いは、得てして効果を生むものです。

そして、最後にテーマ意識を自分への内面指向から、もっと外界まで広げてみるのもいいのではないでしょうか。テーマを強く意識することで変われる部分もあるでしょう。

たとえば、今世界の大問題であるロシアのウクライナ侵略など、彼女の鋭くしなやかな感性によればどんなものが生まれるのか、見てみたいものです。

私もかつて、「僕は十二歳 職業兵士」という本をよんで非常に考えさせられるようになったという経験があります。アフリカの国にはそんなところがまだありそうです。

まだ年若い十二歳の少年(子ども)が、すでに銃を担いで、戦闘の経験をもち、殺人さえ犯しているのかも知れないと思うと、さすがに考えさせられました。

そこには、重いテーマを感じますし、決して私たちが見ないふりをして、それで済む問題ではないような気がします。

そうやって、彼女もテーマを探りながら、これからのさらなる飛躍につなげて欲しいものです。もっと彼女はテーマ探しの旅に出たほうがいいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました