■表現の自由・言論の自由
今回のプーチンのウクライナ侵略に見る重要なことの一つに、ロシアには「言論の自由」も「表現の自由」もないという事実です。
日本に住む貴方はこれを、どう思うのでしょうか?
日本もついこの前の1945年、第二次世界大戦に負けるまではそんな国でした。国を批判することも、この戦争には勝てないと言うこともできませんでした。
奇しくも敗戦の結果として棚ぼたの様に「言論の自由」と「表現の自由」が手に入ったのです。日本人は市民革命という血を流して権力者から勝ち取ったものではないので、それがいかに貴重なものであるかが分からないかも知れません。
でも、今のロシアを見てどう思いますか、反戦のデモをするだけで権力に拘束されてブタ箱に放り込まれるのです。絶対に嫌な状況だとは思いませんか?
これら二つの権利と基本的人権というものは、絶対に手放してはいけない人間の権利です。ですが、未だにこの保証がある国は多いとは言えないかも知れません。
貴方は、「言論と表現の自由」を心の底に置きながら創作活動をしていますか?
もしかして、貴方は意識してそんな問題には関わりたくない、或いは無意識のうちに避けているということはありませんか?
今の日本では政治的発言、人道的発言、自由な表現は出来ないと考えていますか? 日本は確かに中途半端な自由の国ではありますが、自由な表現行動が罰せられると言うことはありません。
むしろ、自由な表現や発言を自粛して控えてしまうことが、為政者をしてのさばらせてしまう原因になりはしないかと、そちらのほうが私は心配です。とかく権威的に君臨する者は国民の自由や行動を制限したがるものですから。
■豚箱の中の自由
ウクライナの市民は今、「自由」のために命がけで闘っているのです。そのことと、貴方自身の創作や表現における自由の行使の仕方を比較してみませんか。
歴史の中で人々は、はじめから自由を手にしていたわけではありません。例えばフランス革命など血を流して「自由」という理念や「人権」というものを手にいれたのです。
「手に入れた」ということは、それはつまり公の権威者に対して市民の側がそれを認めさせたということになります。
もし、貴方が政治や人権のことなどについてよく分からないなどの理由で、表現の自由の行使を控えているのなら、それは豚箱の中での自由に過ぎない生き方をしているのかも知れません。
つまり、豚箱の中でベットをどこに置くかとか、トイレにいつ跨って何回ウンコをするとかを自分で決めて自由にできる。その程度のことで貴方はすっかり満足してしまっているのかもしれません。
そのような事なら、今のロシアでも許されるかも知れません。
しかし、豚箱の外にはもっと自由な表現と言論の自由があるはずです。
この国(日本)でもその程度のことなら、国は「自由にどうぞ、どうぞ」的な優しい顔をするものです。貴方の表現に関わることでは、例えば恋に関する表現や、貴方自身の悩みなどを唄っても、国は素知らぬ顔でスルーしているはずです。
そんなことは、為政者にとってもどうでもいい事だからです。
でも、もし貴方が世の中の「ここがおかしい」とか、「これは変だ!」とか言い出したときには、為政者の耳がピクンと反応してナニナニムムム…と動いてくるかも知れません。
■放送禁止歌?
テレビや新聞などのマスコミ・メディア関係は、世の権力者ととても仲のいいところがあって、世の権力者の耳の痛い表現や歌などに対してとても慎重になって報道を控えたり、歌や映像などは「放送禁止」という自粛コードを暗に決めているという節があります。
今や第三の権力と言われるテレビ・ラジオ・新聞のメディア界は、いつの場合にも必ず真実を国民に伝えているとは限らないかも知れません。
実際にそういうコードに引っかかった歌のリスト的な本を私は持っています。とても面白いので機会があればいつか紹介しましょう。
そして、私の記憶していることで、数十年前のあるお昼のバラエティ番組で、まだとんがっていたころの泉谷しげる氏が「戦争小唄」という歌をやったことがあります。
「戦争だ 戦争だ 戦争だ 国が認めた戦争だ」と始まった途端、CMかなんかに画面が切り替わり、次の週の同じ曜日、同じ時間帯には別の番組があっていました。
ディレクターか誰かが詰め腹を切らされたんでしょうね。番組そのものが無くなって、別の番組に代わる。視聴者への何の説明もなく。怖いことです。
今でこそ人情オヤジのような顔をして人情ドラマに出ている泉谷氏ですが、昔はトンがっていたのです。
お神が眉をひそめて嫌な顔をするような表現をした時に、その国の「表現の自由度」というものが見えてきます。今ロシアでは、真っ白な紙をカメラに向かって広げただけでパクられるような最悪な国です。
あのブラックパロディ画家のバンクシーなら、ロシアであれば死刑にも成りかねないのではないでしょうか。
また、山下達郎氏にも放送のコードにかかっていて、おそらく放送されないであろうという歌があります。それは「イエローキャブ」という歌ですが、貴方は知っていますか。
■1960年代後半の歌には反戦歌もあった
1970年の直前くらいには、この国にも反戦などをテーマにした歌がありました。当時の時代は若者に元気があったので結構人気もあり支持されていました。
ベトナム戦争への批判が強い時でしたから、洋楽にはもっとありました。「雨を見たかい」などは有名です。
今でもテレビやラジオのマスメディアに乗りにくい歌がありますね。
・イムジン河(フォーククルセダース)
・戦争知らない子供たち(ジローズ)
・教訓(加川良)
・竹田の子守歌(赤い鳥)
などなど挙げだしたらきりがないほどです。
■「竹田の子守歌」考
その中で、「竹田の子守歌」についてひとこと話してみましょう。それは、赤い鳥というグループが原曲からアレンジを加えて自分たちの歌としてシングルレコード発売したものです。1971年のことです。
A面が「竹田の子守歌」、B面「翼をください」でリリースされたのですが当初はA面「竹田の子守歌」が好評を得てヒットしました。その美しいメロディと歌声は秀逸だったのです。
ところが、ある頃からふっとこの歌がメディアから消えたのです。メディア側は何も説明しませんが(それ自体無責任)その理由は歌詞の中の「在所」(ざいしょ)という言葉がコードに引っかかったためのようです。
つまり、「在所」とはかつての京都における「被差別部落」の地名を指す言葉だという解釈によるもののようです。そこにあるのはメディアの過剰な自粛体質が災いしているのです。
守りもいやがる盆から先にゃ
雪もちらつくし子も泣くし盆がきたとてなにうれしかろ
帷子はなし帯はなしこの子よう泣く守りをばいじる
守りも一日やせるやらはよもいきたやこの在所越えて
むこうに見えるは親のうち
※こんな内容の歌詞です。
ふがいないメディアの情けない対応によって、もっと多くの人々に愛されて良かったはずの名曲が干されたものでした。「いいものはいい」それが基本なのに。
余談ですが、レコードB面曲だった「翼をください」の方は、その後教科書などに採用されて、学校経由で広がりまして、今日いろんな場面で差し障りのない名曲として使われています。
■唯一、メディアが自粛せずにスルーした反戦歌
ジローズの「戦争知らない子どもたち」では
「戦争が終わって僕らは生まれた
戦争知らずに僕らは育った」
と歌われますが、貴方たちはもう戦争知らない子どもたちではありません。湾岸戦争がありました。それは、フセイン対多国籍軍という構図でした。そしてウクライナに侵略するプーチンの戦争もリアルタイムでよく知っています。
他にもありました。IS(イスラム国)あり、シリアの内戦、アフガニスタン、ミヤンマーのクーデター、中国での香港制圧問題、ウィグル族の迫害問題、もしかしたら今後台湾への中国侵攻が起こるかも知れません。
このように、貴方たちは「戦争知らない子どもたち」ではあり得ません。さてこの状況を見て、どのような志を抱き、いったいどのように表現してくれるのでしょうか?
とても楽しみです。
表現とは、自己規制をしない「表現の自由」と共に自分で自分の表現を背負うものです。あなたの表現に対する共感や賛同もあれば、反発や批判もあるものです。でもそのすべてを表現者としての貴方自身が背負うのです。
この国のマスメディアのように、自分の立場を明確にせず、「中立性を保つ」ふりだけして、放送事故を避けるようにしているのとは、本来「表現の世界」は違うものです。
自己規制ばかりしていると、自分が嫌になることもあるでしょう。かつて小田和正氏はラブソングを歌うことに辟易していた時期があると言うことらしいです。
また、宇崎竜童氏も自己規制している自分自身にいら立った時期があるそうです。シンガー・ソングライターを目指す貴方にもそういう時期が来るとしたら、それはある意味で貴方の成長の証かも知れません。
表現にはそういうストラグルも必要でしょう。今あなたが生きているこの時代、世界中がとても悩ましい問題をたくさん抱え込んでいて、貴方自身がもはや身の回りのことを見て見ぬふりなど出来ようもないでしょういから。


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