作詞論!<究極の言葉選びに関すること>

究極の言葉選び

「聞こえるかい?」「月の祭り」「Moroc」に寄せて

戦争を「テーマ」にするとどうなるか? 「聞こえるかい」の歌

■聞こえるかい? (作詞:KURO 作曲:西岡恭蔵)
一.
アラブ諸国は 火の海と
テレビジョンが 叫んでる

お前は 「つまんない」って
ポップコーン かじってる

誰かが 誰かを 殺してる
この静かな夜の中で

生きていたいと 願うのは
お前だけじゃない 俺だけじゃない

二.
黙りこくった女達
涙忘れた 子供達

新聞記者はもう
次のネタを 捜してる


誰かが 誰かを 愛してる
この静かな夜の中で


耳にオーバー・ラップして 掠めるのは
彼の声か? 君の声か?

※(Repeat)
※ (Refrain)
※アルバム「スタート」レーベル(ミディ)

【分析してみましょう】

私の持っている歌詞カードを見て思うには、アレンジを清水一登さんという方がされたのでしょうか。

私はこの方についてはあまり情報を持ちませんが、この曲の前奏部分はとてもドライブ感がある最高の出来だと思います。

なんか軍隊がだんだん近づいてくるような足音をイメージするみたいな。相当に凝り凝りのアレンジであります。

完全なロックなのにシャウトするわけではなくじっくりと聴けるサウンドに仕上がっている。

■そしてスゴイのはKUROさんの詞

「アラブ諸国は 火の海と」で始まるのですが、思えばこのシーンを当時我々はテレビで観戦したのでした。夜空を切り裂く花火ショーのような多国籍軍が放つ砲撃シーンのことです。

出だしはじめの2行が、テレビが伝えている衝撃的なニュース。そして次の2行が居間でそれを見ている「オマエ」と「ワタシ」です。しかもオマエは「ツマンナイ」と呟いてポップコーンをかじっているのです。

今日では、フィックションではない現実の戦争シーンまでもがテレビで見れてしまうような時代であることの恐ろしさを実感します。

そして、それを見ながら能天気にもほどのある「ツマンナイ」なんてことを呟けるようなこの国のどうしようもないコワイ状況があることの同時進行を、何とも言えない気分で歌っているのでしょうか?

作詞家(KUROさん)は、もしかしたらもっと別な感情を伝えたいのかも知れません。「ツマンナイ」とは戦争への批判の意味かも知れませんね。

一番が「戦争のシーン」(誰かが 誰かを 殺してる)なのに対して二番では「愛し合うシーン」(誰かが 誰かを 愛してる)なのです。

そこには恭蔵さんとKUROさん二人の考え方(思想)が垣間見えます。

つまり、「戦争」の対極にあるものは「平和」という実態のないものではなく、「愛」という具体的な実体あるものなのだという思想です。共感です。拍手です。

二番の初めは
黙りこくった女達
涙忘れた 子供達

となっています。私にはこの2行は戦争というものの本質を語っているように思えてなりません。

女性が黙り込むという異常な状況こそが戦争であり、泣くのが仕事の子どもたちが涙を忘れるという異常な状況こそが戦争なのです。

戦争とは、戦争を企てたりしない女性と子どもたちに一番深刻な被害が及ぶものだという真理を、この言葉は射抜いています。たった短い2行の短い言葉ですが、究極の言葉選びがそこにはあります。

日本のロックナンバーにはない、上質なロック仕立ての、じっくりとした反戦歌だと私は思います。二人は平和主義者だったことがよく解ります。

今時の若いシンガー・ソングライターを目指すあなたが、今回のプーチンの個人的な戦争を見て、どんなスゴイ反戦歌を作るのか、とても楽しみです。

こんな世界の大問題を、決してあなたはスルーしたりはしないはずですから。

ネイティブ・インディアンへのリスペクト

■月の祭り(作詞:KURO 作曲:西岡恭蔵)
アルバム「スタート」
※(Repeat)
月は満ちて昇り
星は輝き出す
人は集いながら
優しく生きる

長い時を抜けて
会えるその日が来た
人も森も海も
微笑み合って

※(Refrain1)
喜びの夜
月の祭り

二.
昔インディアンは
花と遊びながら
光る生命の意味
花に学んだ

俺とこの星との
唄が唄えるまで
夢は満ちて引いて
繰り返すだろう


約束の夜
月の祭り

※(Repeat)
※(Refrain1)
※(Refrain2)

この歌の土台にあるものは、インディアンの生き方に対するリスペクトと共感です。それは同時に、西欧的な文明に対するアンチテーゼでもあります。

新大陸発見と称して、白人がやってきてフロンティア政策の被害者として先住民は侵略と圧迫、差別と西洋文明の押し付けを強いられ続けたのです。先住民は屈辱と憤りがあることでしょう。同時に誇り高い人々だとも思います。

砂漠の国のことをどう表現するのか 「Moroc」

Moroc
作詞:KURO 作曲:西岡恭蔵
(1979年10.25 アルバム「ヨーソロ」)

砂漠の切れ間から
のぞいてる町 Moroc
流れる男達
行きつく町  Moroc
涙を集めては
砂に変える  Moroc
かわいたタンバリン
おまえ呼ぶ町 Moroc
Moroc 通り過ぎた
風の向こうで
かすかに笑いながら
俺を待ってる

世界のどこよりも
影の濃い町  Moroc
どんなにさけんでも
答えない町 Moroc

やさしい女達
ゆらめく町 Moroc
せつない男達
消えていく町 Moroc
明日の事なんか
ふりむかない Moroc
明日の夢なんか
見つめない町 Moroc

Moroc 通り過ぎた
風の向こうで
かすかに 笑いながら
俺を待ってる

※Moroc(モロッコ)は、アフリカ北部の地中海と大西洋に面した国で、スペイン南端あたりの地中海沿岸の向かい側に位置する場所にあります。町ではカサブランカやマラケシュが有名。首都はラバト。内陸部には砂漠地帯が広がり、近隣の国もほぼサハラ砂漠の国であります。

砂漠の多い国土ですから、乾燥地帯であります。日本のような湿潤の海洋性気候とは大きく違うだけでなく、民族性や感覚もまったく違っていることでしょう。

その風土や空気感の違いを表現するのに長けた言葉選びが全編に貫かれているのは脅威に値します。どれもスゴイのですが、私がとても気に入っているのは、

世界のどこよりも
影の濃い町  Moroc

の言葉であります。砂漠の国ですから「灼熱の太陽」などを連想するのかと思いきや、その対極にある「世界のどこよりも 影が濃い町」という影という言葉選びがされていることに「脱帽!」だと思うのです。それこそが、他者には思いもよらない言葉選びの高度な表現力というものです。

今は亡き作詞家のKUROさんに拍手です。

旅唄と言われるジャンルは簡単ではなく、これをモノにして名曲を作るのはとても難しいことです。なかなか得意とするシンガー・ソングライターの人は見当たりません。

西岡恭蔵さんや加川良さんは、数少ない旅唄の名手です。
恭蔵さんで言えばここに挙げた「Moroc」もそうですし、
「燃えるキングストン」などグローバルな旅唄がたくさんあります。

加川良さんでは、また趣がガラッと異なり「内省的な旅唄」がたくさんあります。私が最初の良さんとの出会いとも言えるような歌も「明日天気になあれ」という歌でした。

そしてそのあちらこちらに「究極の言葉選び」というものがありました。実は、言葉選びという営みは、その人それぞれの志と歌のテーマ性をどのように考えるかなどと大きく関わります。

境地が変われば言葉が違う。単にAとBどちらの言葉がよりいいかというような小さな問題ではありません。

よく聞くことですが、「等身大の自分を素直に表現すればよい」みたいなことを言う人がありますが、それは私としてはあまりいただけません。

それでは自分に甘くなりますし、より良いものを目指すという営みが忘れ去られます。自分を見つめ、志を持ってこらえ性のある表現を目指して、日々切磋琢磨したいものです。

画家でも、小説家でもデザイナーでも、シンガー・ソングライターでも、すべからくアートクリエーター足らんとする者は、昨日よりも今日を、今日よりも明日はと、すべて高みを目指して頑張って欲しいものです。

因みに「Moroc」の曲のアレンジですが、かの有名な細野晴臣氏のこれ以上ないほどの凝りようで作られた曲です。細野さんは、ワールドミュージックへの造詣が深く、異国の風土を彷彿とさせる曲想を提供してくれています。

以上、志の高い三つの楽曲の紹介でした。

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