まず、パソコンでググり出てきたこの歌を取りあえず聞いてみた。メロディとアレンジはとても印象的でいいと思えました。
まず最初の一音目からサビに入るというメロディーの作り方は、今時のセールスの在り方の特徴で、収益を期しての算術がバッチリと働いていることに、感心しつつもイントロのアート性に関心のある私としては、「残念!」なる気持ちも多々ありという感じです。
曲想のアレンジは、十分に凝っていて軽佻な音ではなく、よく聞きがちなポップス調とも違い、どこかclassicさえ感じるような重層感がありました。
また、アコースティックなギター音やエレキの音、ドラムの音などは無く、ある意味オリジナル性の高さはあるという感じでしょうか。
その分、リズムに乗ってみんなで歌うという感じではありません。
でも、そこには今どきのポップスの特徴然として、ハーモニーもバックコーラスもありませんでした。その辺、もう少し凝ってもいいのかなと思えました。
コーラスを担当できる優秀なアレンジャーが最近は不足しているのでしょうか? ほとんどの曲からコーラスが抜け落ちています。
■歌詞の分析をしてみましょう
この際、これまで私が提案してきた、三つの観点「時間的な奥行き」「空間的な広がり」「究極の言葉選び」を基準(物差し)にしつつ考えてみたいと思います。
最初の4行部分ですが、「古びた思い出の埃を払う」から分かることは、出来事からこの時までかなりの時間的な経過があるということです。なのに、この男性は今日まで相当に重くその失恋の過去を引きずっているようです。
「言えずに隠していた昏い過去」と言う言葉がありますが、それがいったいなんであるのかは語られていません。聞く側はそれにちょっとフラストレーションを抱くのです。せめて手掛かりとなる言葉が必要ではと思います。
なぜなら、ここで歌われていることは、男性の一方的な思いであって、女性とはかつてどのような関係であったのかは伝わりません。もしかしたら、男性の一方的な片思いなのかもしれません。
「あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえ」
のことばだけでは、「あの日」に何があったのかが分かりません。喧嘩したのか、心変わりがあったのか、事故なのか、誤解なのか、何も手がかりがありません。あるのは、本人の苦痛そうに歌う顔だけです。
ここで、突拍子もない私の記憶が蘇りました。それはあの戦争写真家ロバート・キャパが恋人を無くしたのが、スペイン内乱の最中に戦車に潰されたという出来事です。
この出来事の後にキャパの写真の撮り方が変わったといいます。よほどの衝撃的な出来事だったことが分かります。
では、米津さんが、表現したかった「あの日の悲しみ」とは、どんな想定なのか誰も分からないままで、果たしていいのでしょうか?
少しだけ具体的な画の見える表現があります。
「暗闇であなたの背をなぞった その輪郭を鮮明に覚えている」
とは、別れる前のSEXでの出来事なのか、背中でしか認識できていない相手の女性とは、すでにそこには失恋の兆しのようなものが存在していたのでしょうか。
しかし、その背中が華奢でしなやかな感じなのか、或いはゴット姉ちゃんのような逞しい筋肉質の背中なのか、そして、相手の女性の顔も姿も何もイメージできる手がかりがありません。
例えば、ユーミンのような絵的、映像的なドラマメイクには失敗していると私には思えます。
そしてもう一つ、この歌詞の中での重要な言葉としての
「胸に残り離れない 苦いレモンの匂い」
というタイトルにも関わる言葉があります。特に「苦い」という言葉が人の味覚的な感性に働きかけるような効果は得られていると言えるでしょう。ここだけは強い印象を与えます。
しかし、どんな状況でレモンをかじったのか、女性がどんな表情をしたのか、そこに関わる二人の映像もありません。全体的に映像に乏しい歌詞です。
ただ、本人は、失恋を長い年月引きずっていて、「今でもあなたはわたしの光」というほどに、過去の失恋を哀惜している、つまりとても未練がましく今を生きているということだけが分かります。
そんな、詞の構造でしょうか。
恋というものは、古今東西この詞のようにとかく独りよがりになりがちですが、私としては、もっと語数を減らして映像になる言葉を配置し、ドラマメイクし直して見てはどうですか米津さん、と提案したいところです。
独り善がりな恋もドラマとして映像化することで、その変質者的な性質からアートへと変身することが出来るものです。
最後に、一つ納得のいかない部分があります。
これだけ、強く過去の恋に捕らわれて男特有の女々しさで今も生きているのに、なぜ「古びた思い出の埃を払う」のでしょうか?
これだけ過去にこだわる強い思いを歌っているのに、それが埃にまみれるほど「古びている」ということに納得できません。
強い思いは決して古びはしませんし、埃なんかかぶったりはしないはずです。むしろ、いつも新鮮で胸の中では反って意味の深い重いものになっていくようにさえ思えるからです。
そこには、いささかストーリー的破綻があるように見えます。もう一度アンサーソングとしていい画像の浮かぶような物語を紡いでほしいと思います。きっとそれが出来る人だと思います。エールです。


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