「傘がない」の考察
1972年7月リリースアルバム「断絶」に収録された曲の中に「傘がない」はあります。そのディスコグラフィーは以下のようになっています。
1. あこがれ
2.断絶
3.もしも明日が晴れなら
4.感謝知らずの女
5.小さな手
6.人生が二度あれば
7.愛は君
8.ハトが泣いている
9.白い船
10. 限りない欲望
11.家へお帰り
12. 傘がない
陽水氏の楽曲の歌詞については他にも取り上げましたが、いずれも他とは際立って異質な感じを受ける気がします。このデビューアルバムからして、その異質さはいくつかの曲において、既に現れています。
その最後の12曲目に入っているのが「傘がない」で、シングルカットされたのはこの曲であります。当時、これより半年前の近い時期、1972年1月には、吉田拓郎氏の「結婚しようよ」がシングルリリースされヒットの兆しが見えてきたなかで、この陽水氏の曲は少しづつスロースターターのように立ち上がってきました。
やはり、ラジオでコンスタントに流されていたことが影響したものと思われます。曲の出だし部分からして、スローでシャープな感じがします。しかもいくらか陰鬱な感じさえします。後の「氷の世界」のようなシュールレアリズムに向かう兆しがすでに見えています。
その後、これら二人のアーチストが大ブレイクして、ギターを抱えた若者たちを「たくろう派」と「陽水派」に大きく2分されるような時期が直ぐにやってきます。そんな時代がありました。
傘がない 作詞:作曲:井上陽水
都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない行かなくちゃ
君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ
雨にぬれつめたい雨が今日は心に浸みる
君の事以外は考えられなくなる
それはいい事だろう?テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべっている
だけども問題は今日の雨 傘がない行かなくちゃ
君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ
雨にぬれ行かなくちゃ
君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ
雨の中を行かなくちゃ
君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ
傘がない
この曲が出された当時、「現代のエスプリ」という季刊誌がありました。その中の特集投稿記事にこの「傘がない」の曲の社会心理学的考察が載っていたことがあります。内容はおおむね以下のようでした。
1番・2番の歌詞が、ともに最初の2行で社会的な問題、3行目「だけども」以下が個人的事情となっています。つまり、この主人公は新聞やテレビの中で云々されている社会的な重要事項と個人的な「傘がない」という事情との間で、しゅん巡しているという構図です。
そして、主人公は社会的な問題があることは承知の上で、でも「君に逢いに行くこと」の方を優先したいという思いに駆られている様子です。いわば「個人的な事情」>「社会的な問題」こんな感じの心理状況でしょう。
なのに、なぜ主人公は社会的問題の方にも後ろ髪を引かれているのでしょうか。例えば最近の選挙などに見る若いひとたちの投票行動などでは、躊躇なく個人的な事情優先になっている様子が当たり前のように見えます。ところが、この歌の場合はそこが大きく違うのです。
その理由としてはこの歌の出た時代が、その少し前の1968年・69年という大混乱した政治の季節の直後だったことと関係があります。先のこの2年間は、とにかく若者が政治的な声を揚げ、反体制の大運動を展開した時期だったからです。
陽水氏もその運動の中心となった団塊世代のまさに一人なのです。時代の影響を受けていないとは考えられません。ですから、私もそのような理解の仕方におおむね賛成です。そこに、氏の戦略的作詞術が加わって、この歌詞があると思えます。
通常、曲の冒頭からして「社会的な問題」をもってくるような歌詞の唄はまずありません。そこは、陽水氏ならではの狙った戦略でありますし、年齢の近い一定のある世代にとっては共通したメンタル構造があるだろうとも予想できます。
つめたい雨が今日は心に浸みる
君の事以外は考えられなくなる
それはいい事だろう?
主人公は、揺れ動く気持ちで「それはいい事だろう?」と確かめようとさえしています。そこは詩情的な表現ねらいなのでしょうか。
唄は時代を写す鏡
1968年・69年の大争乱の時期の収束を受けて、この時期、出てきた歌に「結婚しようよ」「旅の宿」があります。共に吉田拓郎氏の歌ですが、何となく「ちょっと一休みしようぜ」的な雰囲気で個人的な事情を楽しみたい様子が伺えます。
その同時代にある「傘がない」も似た時代の空気が感じられます。
「大変な中、君たちは良く頑張ったよ。でもここらで少し方向を変えて、もうちょっと個人的にしたいことをしてみれば~、もう誰も文句は言わないけど…」
そんな社会心理の変容の途中にあるように思えます。
そして、そこから若い人々は、来たるべき高度経済成長の大きな渦に巻き込まれていくのです。企業戦士として世界中で活躍していくのですが、それと同時に若者の政治意識は急速に薄れていくことになるのです。


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