メジャーデビューの上野だいきさん、「新緑」という曲を聴いてみた。
FMで今月のマンスリーの紹介曲は、上野だいきさんの「新緑」という歌が流れています。ラジオのナレーションによると、X世代に支持されている等身大の歌だという触れ込みです。「Z世代」「等身大」という言葉に私のアンテナがピピッと反応しまして、分析を試みた次第です。
「メロディライン」の退潮、「コーラス」の絶滅、「歌詞」の崩壊現象などが昨今の特徴と見える状況の中で、「Z世代の支持」と「等身大の歌」という二つの誉め言葉がかろうじて生き残っていると言う感があります。
これに私は、いつも真逆の印象を持っています。「X世代の支持」とは、他の多くの世代にはささらない、無視された状況を意味するのだし、「等身大」なんて何のアート的価値も見えてこないというのが、私の主張です。
さてさて、どんな歌詞なのか、見て見ましょう。

第一印象は「無駄に長い詞なのに意味不明!」
ラジオから流れてくる、メロディはそれほど悪くはないと思います。ですから、それに引かれて歌詞の問題点が見えなくなっているのかも知れませんが、「無駄に長い詞なのに意味不明!」というのが、私の第一印象です。
通常は言語というものは、「言葉足らず」状態よりも言語量が多い方が説明も行き届き、他者によりよく理解されるものだという錯覚があります。。
よく、政治家の失言を回復する謝罪会見では「言葉足らずで真意が伝わらず、誤解を招いてしまいました。」という釈明の定番的な謝罪があります。それも、上記の文脈から来たものです。
ところが、こと「アート」に関する場合は必ずしもそうはいかないものなのに、この歌のように無駄に長くて、長いほどことがこじらしてしまい、意味不明になってしまうというお手本のような例になってしまっています。
導入部分について
起き抜けの身体を
時間は待ってくれない
シーツからはみ出る毛布は
まるで自分のようで
大きな力に少しずつ虐げられ
どこに行こう何をしようと
まるで子供みたいだな
導入部分が7行というのも、すでに長すぎる感じがするのだけれども、それは、取りあえず横に置くとして内容を見てみよう。
起き抜けの身体を
時間は待ってくれないな
この2行は、若い世代に共通するよくあることである。だからスルーしよう。
シーツからはみ出る毛布は
まるで自分のようで
「何?」「これって何の喩え?」
ここで、すでに「意味不明」感に襲われてしまうのです。
「シーツからはみ出る毛布」=「まるで自分のよう」、それって寝相の悪い子供のことの例えですか? それとも「もう子供じゃないのに、寝相の悪さがいまだ残っている自分のこと?を言いたいの?
ますますわからないのは、そんなどうでもいいような状況がなぜ「大きな力に虐げられる」と感じられているのか?
別の深読みをしてみましょう。「シーツからはみ出した毛布」を、何か一般常識や体制的なものからはみ出した自分というものの表現でしょうか?
でも、もしそうだとしたら、そのようにもっと分かりやすい別な言葉選びによる表現をした方がいいと思います。例えば、「時代の壁」、「ヤツらの権力」、「常識の仮面を被った裏の顔」等々何か、もっと君を虐げているものの姿を描かないと、聞く側に伝わりません。
先に行きます。
駆け込んだ未来に
生かされている僕らは
「駆け込んだ未来」って何? ここでは「未来」の中身が定義されていないので分からないのかもしれませんが、また「生かされている」ならいいじゃんと思わないこともありません。なのに、とても窮屈な状態で生きている筆者の姿が見えてしまうのはなぜでしょうか?
否定されずに「生かされている」のに、それでも不満なの? 一体何が不満なの? と思えてしまいます。管理の行き届き過ぎた時代の硬直感を敏感に感じているのなら、もっとその窮屈さみたいなものを表現しないと伝わりません。
Z世代の彼らは、このような歌の何に、或いはこの歌のどこに共鳴しているのでしょうか?
Z世代が、天才的な理解力をもっているから? まさか?
カレンダー通りに、1週間が過ぎ次の週へと移り変わっていく、その速さにも似て季節も変わっていくというのは、ましな言葉で言えば「日常」と言えるでしょう。また、逆にうがった見方をすれば「降ったら雨で、照ったら晴れです。1+1=2です。」みたいな当たり前のどうでもいいような事を言っているに過ぎないと言えます。
たいして魅力もない日常を過ごす私たちが、人様のつまらない日常までしょい込んで感動なんてするものでしょうか? そんなハプニングも、新しい発見もないようなものに引かれること自体に、私の頭の中では??マークばかりがうず巻くのです。
こんな印象が私の言う大まかなところです。細々した部分は聞くのも辛いほどどうでもいいことのように思えます。「どうでもいいこと」=「等身大」であるのならば、Z世代とやらの、とても退屈な状況をお気の毒この上ないと思えてなりません。
もしも、「現代の窮屈さ」というものを表現したいのであれば、それが伝わるような工夫をすべきだと思います。そのときのためのアドバイスめいたものとは以下のようなことです。
・語数をもっと減らす。一連も3~4行程度を目指してみてはどうでしょう。
・情景描写など、映像が浮かぶ表現を工夫する。
・動的な言葉を使う。
・固有名詞や質量のある言葉を探してみる。
上野だいきさんはまだ若くて、デビューしたての伸びしろしかないような将来性のあるシンガーですから、是非参考にしてください。きっと名曲にたどり着くのではないでしょうか。
「Z世代」とは
1995年~2010年代初めごろまでに生まれた世代らしいのですが、現在的に28歳~15歳あたりの人たちのことをイメージするといいのでしょうか。
この人たちが、特に特徴的で特有の側面を持つ世代なのかはよく解りません。表現性や連帯感、能力等、何か特徴でもあれば知りたいものです。
ただ、「Z世代に支持される」ということは、他の全世代には無視されていると思えますし、歌で言えば、桑田佳祐の「愛しのエリー」が登場した時のように。年齢問わず多くの世代が熱狂したのとは格段に違いを感じます。
世代的に「団塊世代」がよく取り上げられますが、彼らは同時に「ビートルズ世代」「全共闘運動世代」「ベビーブーム世代」などの分かりやすい特徴を持ち、イメージが持ちやすいのですが、Z世代の特徴とは、どんなものなのでしょうか?
「意味不明」と「シュールな表現」は違うもの
私は「意味不明」という表現をしましたが、意味不明な中にもカッコいいシュールな表現があると、別な味方や評価もできるのですが、この「新緑」の歌詞についてはシュールさも感じられません。
シュールな表現では、またいろいろな歌を紹介できます。既に紹介したものもありますのでそちらを参照頂けるとありがたいです。ですから、この歌ももっとカッコいいシュールさを狙って作詞するという方法もあったのではないでしょうか?

この歌も寝起きのところではじまる、意味の分かりにくい歌なので比較してみてはと思い、載せてみました。
「Z世代」ではなく「団塊世代」の歌の歌詞です。
これは、歌詞に理解の難しい面はありますが、とても自由で窮屈さのない、シュールな面白さがあります。
いっそ石の流れに飛込んで
靴でもくわえて笑っていたい
いつものように
屋根にまたがって
噂話をのぞきこんでいる
生まれつきってわけでもないが
背中に大きな穴があいたまま
さあ忘れ物を思い出しとくれ
等の表現です。
窮屈な行き止まり感がなくて、どこか突き抜けた自由さがあるように思います。
団塊世代の登場したころ、其の中にヒッピーというドロップアウトした一団がありました。彼らには「平和」や「反戦」などの文化的主張めいたものもあったと言います。
ドロップアウトしているのに、現在の引きこもりのような窮屈感は感じられませんでした。
それと、以前から私の気になる2行ですが、
男は頭で恋をして
女は夜を知りすぎている
の2行は、長らく私の中の「真理」めいたものとして定着しています。
表現はシュールですが、言葉そのものは平易なものです。
「石の流れ」「靴を咥えて」「屋根にまたがって」「噂話」「背中に大きな穴が開いたまま」
明確な言葉が使われています。
「平易な言葉でシュールに描く」のがコツなのでしょうか。


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