シンガー・ソングライターを目指すなら、一度は情景描写を極めてみよう

歌詞の良し悪し

小説は、情景描写ではじまるものは多い。ワザとのようにとても克明に表現されることも多くて、なぜその描写が必要なのかは、後になってじわじわと分かってくるような場合もある。
それからやがておもむろに、或いは唐突に主人公が登場することになる。

ほとんどの場合、情景描写なしにストーリー(ドラマ)が成立するものではなく、やはり欠かせないスパイスのようなものであろう。また、情景描写には筆者のある種の感情が投影されていることが多い。それは筆者が戦略的・意図的に仕込んだものである。

情景描写は、いつも同じ調子で行われるものではなく、状況の違いや表現者によって表現の内容は当然変わる。例えば、山の中と海の傍では、当然情景が変わるので表現も変わるだろう。

それだけではない。季節によっても場所によっても変わる。北海道と九州では場所の雰囲気が大きく違うし、都会と田舎でも雰囲気は違う。

日本のように湿度の高い地域の空気感と、砂漠のど真ん中の街のように空気が乾燥した地域のそれは格段に違うだろう。そして、そこで暮らす人々の生活感覚は大きく違うであろうから、情景描写として伝えるためには、工夫が必要となる。

同じように、海や山があったとしても空の色や草木の植生、人家の屋根や壁や窓も大きく違う。そんなことも含めて情景を描写することになる。

歌詞に情景描写を上手く取り込む

例えばユーミンは、小説の入りのように情景描写ではじまる歌がとても多い。彼女の法則や常套手段となっていると言ってもいいくらいである。

歌の歌詞の場合には、小説のように細々とした表現である必要がないだけに、選び抜かれた鋭い言葉による表現が必要である。そしてそれは、情景描写でありながらすでに情景描写を越えてドラマ的な展開へと踏み込んでいる場合が多い。

それがわずか2行から4行ほどの数行の中で達成されているのが、優れた歌詞の名曲たちである。その妙味を、これからシンガー・ソングライターを目指そうとする人たちには是非味わってほしいものである。

3つの名曲紹介

いつの間にか少女は

曲の入りの情景描写とは言っても、実は初めの2行だけがそうである。しかも語音的にとても美しい響きの流れを意識して、言葉選びが成立している。これが陽水流なのだ。

しかし、よくよく見てみると「いつの間にか」「思いつめた」「逃げてゆく」の言葉は比喩的であり単なる情景描写の域を超えている。陽水は情景をも人間側に引き付けようとしているかのようである。

なのに、言葉的に難解だったり、ねじれていたりの不自然さは感じられない。むしろ語調の美しさが目立つ。すべて歌の出だしとして効果的で効いている。大切なのは、フレーズの語数・語音数が無駄に多くないということであります。

そして次の2行は、すでに情景描写ではないドラマ的な展開となっている。これを含めたたったの4行なのに、一つのドラマが成立していると見ることができないだろうか。一つ前の記事に取り上げた、「新緑」という歌の歌詞とは好対照である。無駄のない、俳句のような少ない語数でドラマ仕立てとなるように言葉が選ばれていることを確認しよう。

若い人たちに告げたいのです。「等身大」とか「Z世代」頼みの空虚な感覚よりも、もっとアートの素晴らしさを追求すべきであると思うのです。だからそれを志す人たちをアーティストと呼ぶのである。

この歌は、1973年の東宝青春映画「放課後」のエンディングで使われた歌であります。
主人公の栗田ひろみ扮する女子高校生が、スコート姿でテニスのラリーをする場面がスローモーションとなり、バックにこの歌が流れるのです。

因みに、オープニングなどでは同じく陽水さんの「夢の中へ」の曲が流れます。それは、今でもよくTVのBGMで使われたりしているので、皆さんもご存知ではないでしょうか。「夢の中へ」の歌のヒットがこの映画のヒットをけん引した感があります。

映画の評価としては賛否あるようですが、こと挿入歌のこの2曲はとてもいいと思います。

その数年前にヒットした洋画の「卒業」がグラミー賞曲の「サウンド・オブ・サイレンス」の大ヒットにけん引されたような現象の日本版、小さい版のようなものでしょうか。

では、次の曲の紹介へと進み情景描写の在り方をみてみましょう。

morocco

実は、砂漠という日本人の生活になじみのない風景と風土を表現するということは、至難の業ではないかと思うのです。「鳥取砂丘」を見て来たくらいでは、そこに暮らす人々の歴史や感覚は理解しにくいに違いないでしょう。そのことを含めてこの歌詞の出だしを眺めてみて欲しいのです。

私は、この歌詞を書いたKUROさんを長年追い続けて、今も驚嘆し続けています。この詞の始まり方は、出だしの1行目「砂漠の切れ間から覗いてる町 モロッコ」のみが情景描写でありますが、同時にKUROさんの見た心象風景でもあると憶測するのです。

そして、2~4行目は、KUROさんの見たその国の人々の人間観(人間理解)の心象風景なのだと思う。恭蔵さんと訪れた気ままな旅だったとはいえ、ここまでの人間への洞察力には、私は密かに憧れてきたものです。

この出だしの4行から、この国に対する私のイメージは、例えば浮かれたリゾート感はないとか、ゴールドラッシュのような、ここに行けば一旗あげられるような感覚もない、日本人にとっては異次元の世界? それを表現したKUROさんのスゴさは計り知れない。

付け加えておきたいのは、この曲想の出来栄えが最高なのはメロディと歌詞とハーモニーの高質な融合、それを演出した細野晴臣氏の高度なアレンジ術などどこをとっても秀逸なのです。この音楽性を是非楽しんでください。

世界は広いのです。伸びシロの大きな若い人であればあるほど、志を大きくして拡大してほしいのです。「等身大の自分らしさ」や「Z世代の支持」などにこだわって小さく小さくまとまろうなんて、そんなつまらない感性に流されて若さを失うなんてのは、人生における多大な損失です。

アフリカの月

この歌詞は、KUROさんのデビュー第一作のものだったということで、デビュー作にしてこのクオリティとは、私には未だに信じられないことです。

西岡恭蔵さんの奥さんがKUROさんで、「南米旅行」「ヨーソロ」「ニューヨークtoジャマイカ」のアルバム3部作が、お二人の気ままな歌作りの旅から生まれた作品です。

実は、旅唄というカテゴリー(ジャンル?)はとても曲作りが難しく、それに優れた作詞家も作曲家も多くありません。恭蔵さんは、旅で訪れた街のリズムや音楽を身体一杯に吸い込んで、それをアウトプットしたのです。そこに、KUROさんの書く詞がよくマッチして名曲がたくさん生まれたのが、これらのアルバムです。

この歌に表現された世界は、とある港町の歴史的な時間と酒場など街の雰囲気が感じられます。諸々の時間的奥行と空間的広がりを詰め込んだのがこの1曲です。

出だしの「古い港町流れる 夕暮れの口笛」について、説明させてもらいます。

まずこれが「新しい港町」ではなく「古い港町」であるのは、そこに歴史的な悠久の時間が取り込めるからです。そして「夕暮の口笛」なのは、それが情緒として真昼の口笛では成立しない遠い昔の記憶につながる想像が連想されているからです。

目の前にあるのは、じいさんの口笛を吹く姿であるかも知れないのですが、それは遠い昔の「海に憧れている少年」の姿が連想されているからです。

「酒場じゃ 海で片足無くした老いぼれ 安酒に酔って唄う遠い想い出」
とは、スゴイ光景じゃないですか。歴史的な長い時間と安酒場という空間が見事にマッチしていて、港で口笛を吹く年寄りと、酒場で酔いしれる老いぼれは、イメージがピッタリとクロスします。映画的ドラマメイクですね。

ここでもう一つ大切なのは、歌い手や筆者の自分の思いが語られているわけではないということです。思いの語りではなく、ドラマシーンの映像的なメイクであるという点です。

ここでは出だしのみの4行をとりあげたのですが、実はこれに続くフレーズもとてもドラマ的な作りなのです。

さて、今回はユーミン以外で情景描写の例を取り上げてみました。書いてみて思ったのですが、ユーミンの方がもっとストレートな書き方が多く、今回の例は情景描写でありながら、それを越えたものを内包したような例が多かったような感じがします。

いずれにしても、そのどちらも参考にしてもらえればきっと役に立つと思います。



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