卒業ソング あるテレビ番組では1位は「卒業写真」2位「送る言葉」3位「卒業」という結果でしたが、、、

コーヒーブレイク

あるテレビ番組で、「卒業ソング」の特集的ランキングを公開していました。アンケートの集計を基にしてまとめたものだと思いますが、1位はユーミンの「卒業写真」、2位は「送る言葉」(海援隊)、3位は「卒業」(斉藤由貴 歌、勝本隆:作詞、筒美京平:作曲)という結果でした。10位までは覚えていません。

でも、これって実際に学校で行われる卒業式で合唱曲として歌われた曲としてのランキングではないように思います。単に「卒業写真」の歌が卒業式に唄われるわけではないと思います。

なぜなら、この歌のテーマは高校時代の女の子の淡い恋がモチーフであり、卒業生全体に当てハマるものではないからです。同じ理由でほかのほとんどの歌は卒業式には使えない卒業ソングでした。

私は、小学校の教師をしていましたから、唯一「送る言葉」が合唱曲として歌われた記憶があります。金八先生のドラマがヒットしていた時代のことです。

卒業ソングにまつわる悩ましき諸問題

卒業ソングは、学校の儀式としての卒業式のために歌われるものであり、本来児童や生徒のためにあるものではありません。もっと言えば、卒業式に限らすべての「式」というものは、学校の体面を維持するためのものであって、子どもたちは、式のための重要なパーツではあっても主体ではありません。

そこには、「式」というもののナンセンスさを常に内包しているといっても差し支えないでしょう。今でこそ、卒業式で歌う歌は当該学年の担任の教師たちの先決事項とはなりましたが、時代をさかのぼると管理職の悩ましい介入はよく行われていました。

「仰げば尊し」「蛍の光」を歌えといったうっとうしい介入は、或る時期において毎年のその時期の職員会議では定番のようにもめていた記憶があります。

私に言わせてもらえば、「教師への尊敬を強要する」歌としての「仰げば尊し」は最悪ですし、本来人生の節目としての別れを歌うという意味などはない「蛍の光」はピッタリの歌ではありません。

「蛍の光」の元曲はイギリスのものであり、それを明治政府が学校唱歌として日本に導入した時に、とんでもない歌詞をつけたのです。この歌は、実は何番もあって、後になればなるほど差別的な歌詞内容が認められます。

たしか、岩波文庫学校唱歌集という本があり、それを見ればわかります。そして、如何に愛国心や国家の威信のために歌までが利用されてきたのかという事実が。

かつての職員会議が思いされます。管理職手飼いの教務が「蛍の光」が日本の伝統的な歌だから入れて欲しいというようなことを発言したことには、笑いました。その人、原曲がイギリスのもだということも知らなかったのでしょう。

明治以来、この国では歌が儀式を通して、ナショナリズム醸成の道具として使われてきたことには、国民の義務として警戒しなければなりません。「君が代」も「日の丸」も同じ意味で要警戒のアイテムであることを、心に留め置いてください。

因みに、私個人としては「君が代」よりも「星条旗よ永遠なれ」のほうが、楽曲として素晴らしいと思います。そして「日の丸」よりもデザイン的に三色旗のほうが素敵だと思います。

学校で歌える卒業歌を作る際の悩ましさ

以前、「季節の風を胸に」という歌が小学校の卒業式でよく使われました。今でもあるのかはよく知りません。この曲、「卒業生の歌うパート」と「在校生の歌うパート」「教師集団の歌うパート」、「全体で歌うパート」からできている組曲のような作りになっていて、面白さもあり、またそれなりのグルーブ感もありで流行ったのだと思います。

歌詞は、ここでは取り上げませんが、卒業式での式歌としての内容は、「季節」、「春」「風」「山」「海」「花」など誰にとっても当たり障りのない、それでいて卒業する誰から見ても等距離にある言葉しか選べません。

例えば、ある子どもにとって部活のスポーツこそが、最大の重要なことであったとしても、卒業歌の内容に盛り込むことはできません。それはなぜならば、それに当てはまらない者もいるからです。

精々、「校舎の窓」や「窓から見える山の名前」くらいが共有できる最大のもので、どうしても大味なものになってしまいます。そこへ行くと、ユーミンの「卒業写真」の歌詞はとてもよくドラマとして完成されています。やはりそこに個人性を持ち込むことで、ドラマが成立するのです。

校歌

校歌というものは、日本ではどこにでもあるものですが、外国では一般的なものではないそうです。校歌もまた、卒業歌と同様に、どうでもいい言葉の選択しかできないドラマメイクのないものです。

以前どこかで、ユーミンの「瞳を閉じて」の歌詞を紹介しましたが、それは、ユーミンがある五島列島の島にある分校の歌として、作ったものです。彼女のラジオ番組に寄せられた「私の学校には校歌がありません」というお便りに応えたものです。

そこでも、ユーミンは完璧なドラマメイクをしています。人々はドラマにこそ感動するのです。14年ぶりにWBCで日本は金メダルに輝きましたが、私たちはこの間のいくつものドラマにこそ、まさに感動しているのです。

欧米の先進国では、卒業式や入学式などの儀式にそれほどの重きを置いていないというのが、当たり前のようです。儀式にはとても淡泊で、(それが本筋だと思いますが)アメリカの高校では卒業式よりも、その夜の校長主催のダンスパーティーで誰をパートナーとして踊るかという大問題のために狂奔するのだそうです。

そのパーティーでは、校長夫妻が躍るその横で、若い卒業生の男女がベッタリとくっついて踊っているその姿が象徴的です。大人の国なのですね。

卒業ソングの未来は?

WBCの金メダル授賞式の場面を見ても分かるように、それはまったく儀式然とはしていません。ですから、卒業ソングが問われる前に卒業式という儀式そのものの性格を学校のためのものではなく児童・生徒・学生のためのものに変えろという命題が先に在るのだと思います。

何かの歌にあるように「卒業するというけれど、何を卒業するのだろう」という無意味さも一定のパーセントの子どもにはあるのです。卒業するよりもあと2年くらい学力をつけてから卒業したほうがいいんじゃないのと思えるほど低学力の子どもたちも実際にはいるのです。

そういった社会的問題を克服できたときには、もっといい意味での卒業ソングの登場も夢ではないかも知れません。ついでに、国歌も君が代なんかやめにして、全国に募集して国民的なものにふさわしい曲を数年かけて作り上げたほうがいいでしょう。ついでのついでに国旗もデザインの募集を公にやった方がいい。応募資格者は国民全員として。






コメント

タイトルとURLをコピーしました