かつて、ミュージシャン同士の横のつながりが時代をけん引した

コーヒーブレイク

私は、70年代の音楽シーンに影響を受けている世代だからだろうか? よく、ミュージシャン同士のセッションのようなものを見てきた。当時はラジオ番組が時代をけん引した側面もあり深夜放送の中でもよくミュージシャン同士の雑談のようなものもよく聞いた。

YouTubeの中でも、例えば坂崎幸之助氏が、それこそいろんなミュージシャンの人とコラボする番組が楽しい。もともと、BS放送のものかもしれないが、私自身はBS放送を家に引いていないので、詳しくは分からない。

コラボの色んな例

1974年、グットタイム・ミュージックのコーラス部分について

♬グットタイム・ミュージック 聴かせてよ ♬ ではじまるこの歌、コーラス部分が濃厚で独特な歌です。オリジナルのアルバムを聴かないとこのコーラス部分は聞くことが出きません。

実は、このコーラスを担当したのは山下達郎氏率いるシュガーベイブというグループです。おそらく、山下氏がメンバーすべてのコーラスの譜面を書き、全員で参加したのでしょうか。

ユーミン「ルージュの伝言」のコーラス

♬あの人のママに会うために 今ひとり列車に乗ったの♬ ではじまるこの歌、ユーミンがまだ荒井由実時代の有名なヒット曲です。

この歌、1975年のリリースですが、コーラスで参加したのが山下達郎、吉田美奈子、伊集加代子、大貫妙子と表記がありました。この4人さんはいずれ劣らぬ歌の名手です。コーラスの完成度の高さが、この歌の大ヒットの原動力となったということは、想像に難くありません。

これら、二つの例を考えただけでも私は深い感動を禁じ得ません。古くからこうした天才集団が、横に連携していたということの多々ある例の中から選ばれた、わずか二つの証左です。

数ある例な中より

・松任谷正隆氏が、まだ若い駆け出しの頃、吉田拓郎氏のアルバム作りに参加して「帰って来た恋人」のアレンジなどをしていた。
・サディスティック・ミカ・バンドからつのだひろ氏が抜けた代わりに高橋幸宏氏がミカバンドに参加。(スゴイ交代劇)
・1973年、「帰れない二人」の楽曲を忌野清志郎、井上陽水が共作する。その後、陽水氏の「心もよう」のB面としてヒットし、後のヒットアルバム「氷の世界」にも収録されました。
・1982年、忌野清志郎、坂本龍一 「いけないルージュマジック」でコラボレーション

細野晴臣氏に関するエトセトラ

・グループ「はっぴぃえんど」は日本のロックの草分けと言われる伝説のバンド。その中心的ボスはやはり細野氏である。大瀧詠一氏(故人)、鈴木茂氏、松本隆氏の4氏のグループだが、活動期間は1969-1972と短い。

その後、1974年、細野氏はティン・パン・アレーを鈴木茂氏・林立夫氏・松任谷正隆氏らと結成。活動は、1973―1977 これはグループ「キャラメル・ママ」を前身としたバンドであるという。

彼らが、その後ユーミンのデビューアルバム「ひこうき雲」に大きく関わっていくことになるわけです。

ティン・パン・アレーは、1970年代に3枚のアルバムを遺しているが、レコーデイングに参加したメンバーが半端なく、サディスティック・ミカ・バンドやシュガー・ベイブの関係メンバーであったりと、やがてこれらを総称して「ティンパン系の音楽」と言われるようになりました。

その後1970年代後半に自然消滅していき、細野氏自身がYMOに傾斜して行くことになります。細野氏は最近NHKのテレビ番組で引退について質問され「自分は、やりたいことをダラダラとこれまでやってきて、今日に至る」というような主旨の言葉と共に「これまでと変わらず、やっていく」という主旨の発言をされていました。

また、私の大好きな歌で、西岡恭蔵さんの「モロッコ」という曲のアレンジを細野さんが担当しています。このアレンジがまた圧巻です。みなさんも是非、この歌をアルバムアレンジで一度は聞いてみてください。

松本隆氏にまつわるエトセトラ

・はっぴぃえんど時代は、3枚のアルバム作成で「風をあつめて」をはじめほとんどの曲の作詞を担当しているのが松本隆氏です。
・グループ「はっぴぃえんど」の解散後、松本氏は歌謡曲の作詞家に転向します。その
第1作が「木綿のハンカチーフ」で、歌謡界の大御所の筒美京平氏の作曲でとても上場のラッキースタートだったといえるでしょう。

・そこから始まったたくさんの歌謡曲のヒット曲の連続、その快進撃はとどまる事知らずの
何十年間でありました。南佳孝氏とのコラボで角川映画の主題歌作りで「スローなブギにしてくれ」を作詞したり、ユーミンを誘ってのコラボ制作で、松田聖子の「赤いスイートピー」に始まるいくつもの聖子ちゃんのヒット曲作りを行う。「琥珀色の地球」「白いパラソル」「風立ちぬ」「小麦色のマーメイド」など。

・寺尾聡氏の「ルビーの指輪」の作詞。
・大瀧詠一氏とのコラボで大ヒットアルバムロングバケーション制作
「さらばシベリア鉄道」「君は天然色」「恋するカレン」ほか
・桑名正博氏とのコラボ:「セクシャルバイオレットNO1
・大瀧詠一氏とのコラボでテレビドラマへの提供、森進一氏への提供:「探偵物語」「冬のリヴィエラ」

Mr.コラボ、忌野清志郎の幅広さ

YMO解散後、忌野清志郎と坂本龍一が「いけないルージュマジック」という歌でコラボしていました。ステージ上で二人とも化粧をしてパンクっぽい雰囲気でしたね。

清志郎氏ほど、ステージでいろんな人とのコラボの多いアーチストも稀でしょうか。私が知っているだけでも、
・井上陽水氏とのコラボ(「帰れない二人」)
・矢野顕子さんとのライブでのコラボ。
・生活向上委員会とのライブステージ。
その他多数です。ユーチューブなどで、画像もたくさんあるので見てみるのも一興です。

コラボレーションの時代

70年代初めの頃は、高校生の僕たちにも買えるようなお手頃なチケット代金でコンサートが行われていて、多くはジョイントコンサートでした。このジョイントという言い方は今では聞かれませんが、いわゆる何組ものグループやシンガーが、次々に出てくるというスタイルです。

そして、それぞれのミュージシャンがしゃべりを交えながら自分の歌をプレイする中で、互いのグループなどのことを面白おかしくイジったり揶揄したりして笑いを取るのが定番でした。そして最後には全員登場でワイワイ歌うような場面で締めくくるというようなスタイルのものでした。

私の住んでいる田舎町の市民会館でも、そんな感じのコンサートがよく行われていました。70年代も後半になる頃には、それぞれのアーティストたち個別のコンサートに変わっていきましたが、ジョイントコンサートの時代も懐かしい一時期ではありました。

そのような状況の中で、きっとミュージシャンたちはお互いの事をよく知り、連帯感を深め、共同の音作りをして、時代を大きく前進させたのだろうということを私は強く感じています。

今、若いアーティストを目指す人たちの連帯や共同(協働)の状況はどうなのでしょうか?
新しい時代を切り開くだけのパワーを備えつつあるのでしょうか? また、業界や体制の思惑にいいように操られて、後は使い捨てにされてしまうようなことのないように注意して欲しいと思います。それができるのは、圧倒的で十分な実力を身に着けることに尽きるのかもしれませんが。頑張ってほしいものです。






スローバラード :アルバム版

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