キング・オブ・ロック 忌野清志郎の墓前を訪ねて

コーヒーブレイク

忌野清志郎さん、1951―2009年、東京都出身で1968年日野高校在学中にRCサクセションを結成。そして70年に「宝くじは買わない」でデビューと在ります。

因みに山口百恵さんの夫である三浦友和氏とは中学時代からのお友達であるらしく晩年まで交友があったのだとか。「彼にギターを教えたのは俺だ」というのは、清志郎さん生前のお言葉。

ウイキペディアを見て見ると、このようなそれはそれは詳しい内容量の記述が出てきました。それもファンの方の成せる功績なのでしょうか。それを読んだり、ユーチューブ経由で彼の唄を聴いてみると、確かに忌野清志郎こそはキング・オブ・ロックと呼ぶにふさわしい逸材だったのだと思えるのです。

■彼の音楽にはいろいろな要素と方向性があります

とてもオチャメで直線的な想いの発露としてのロックです。その直線的な想いとは、自由自在に四方八方に広がる興味ある対象への創作意欲とその大胆な露出は、とても説得力のある音楽へと昇華していくのでありました。

思いのままの歯に衣着せぬ計算のない正直さこそ彼を突き動かし、聞く者を納得させ連帯へと導くものだったと思うのです。

それは時として世の中の権威的なものとの摩擦を起こしてしまいます。日本のほぼ大多数のミュージシャンは計算づくで、或いは無自覚的に権威的なものとの摩擦を予め避けて通ることを専らとしています。

アルバム「カバーズ」の中の「サマータイムブルース」では、発売元がビビッてリリースを渋るということがありました。その歌詞の内容が原発への反発だったからです。今や反原発なんて当たり前のことでも企業は弱腰になってお上の顔色を伺うなんて情けない話は世の中に溢れています。

何か、事を起こそうとするとそんな壁に突き当たる事ってよくあることです。それが、純粋に許せない正直者が忌野清志郎氏でした。

ですから、B‘sにもXジャパンにもGreyにもスピッツにも真似のできない清志郎節がそこにあるのです。本来ロックスピリッツとは権威的なものとの鋭いせめぎ合いを前提とするものでした。

ビートルズやボブ・ディランの名を挙げるまでもなく、欧米のロックにはたくさんの反骨精神あふれるそんな音楽がありました。そのことを知っている日本のミュージシャンは、せいぜい権力や権威的なものとの距離を置くという対応をして(消極的な)抵抗をしているというむきもチラホラ点在すると思います。

そしてまた、清志郎氏には別の方向性もありました。
「パパの歌」というものがあります。それは自分の子どもへのメッセージソングだったのでしょうか。私はこんな歌も好きです。家ではどうしようもなくグータラなオヤジでもいざ職場で働くその姿はちょっと違っていてカッコいいぞというものです。

もともと、RCサクセションの最初のスマッシュヒット曲は「僕の好きな先生」という唄(フォーク)で、そこで歌われる対象は「タバコを何時も吸っている、年寄りの美術の先生」なのです。つまりここでも歌の対象は広く平等に目が向けられているということですね。

清志郎氏自身がイラストなどを描くのが好きで美術の先生との自然な交流がそこにはあったことでしょう。また、授業をサボって屋上でラジオから流れる外国の音楽を聴いていたという実体験からは名曲「トランジスタラジオ」が生まれています。

「雨上がりの夜空に」では、エロくHな状況が歌い込まれています。
「こんな夜に お前に乗れないなんて」

とてもストレートな生き方としての創作は本当に忌野清志郎という人の「らしさ」というものがよく出ていると思います。

■忌野清志郎の墓に参る

東京から山梨に向かう途中のとある駅で下車して、そこから高台にある清志郎氏の魂の眠るお墓に参ってきました。私も旅の目的としてではなく偶然に知ったことなので、好奇心がてらにそこにきてみたのですが、結果としてとてもいい時間でした。
霊園の入り口の事務所で尋ねたところ、気持ちよく教えていただきました。一枚の簡単な地図をもらって、「この分かれ道を左に行き、さらにここも〇〇で、ここです」というよう感じで。「周りを煉瓦で囲んでありすぐわかります。」ということでした。

その通りに坂を上がっていくと、果たしてそれは確かにありました。清志郎さんらしいお墓が。ファンの方たちの献花でしょうか、いくつかの花束が前面には置いてありました。

横書きの大きな文字で「忌野清志郎」と達筆な崩し文字があり、墓石に向かって右前にはアニメチックなウサギのような人形がギターを弾いているのが、とてもキュートです。

煉瓦囲いの上には鉄製?の柵があり、そこには清志郎さんの愛した「自転車」の絵柄があったり、門柱には「Love and Peace」のななめ文字があったりします。表現者としての清志郎さんらしさはとても愛すべきものでした。

背景としての山々とのコラボ具合もいい感じです。そこで寂しがり屋の清志郎さんが「もっと、みんな話しに来いよ! 俺の歌を聴きに来いよ! 愛し合ってるかい!」と呼びかけているのだと思います。

この国では、お墓に関する「ソレダメ、アレダメ」という法的な規定はないので、だれもが表現者としての自分の最後のパフォーマンスとして有効かも知れません。生前の方がむしろ表現に関する規制の壁が高いのかもしれませんね。

日頃、親の墓参りさえも真面目にしないこの私でも、感じることはたくさんありました。生前の清志郎さんとの対話がそこにはあったからでしょうか。

私の好きな加川良さんのお墓の場所はググってもわかりませんでした。また、志摩の美しい海の見える高台には、西岡恭蔵さんのお墓があるそうなので、もし叶うならばその墓前に花を供えたいと思います。

もう年の瀬ですから、自分の親の墓参りも忘れないようにしなくてはと思います。



お墓の前でしかほんとのことが語れないということがこの国にあるのだとしたら、そんなつまらないことは変えていかなければなりません。私はそのことを「緩やかなファシズム」と呼ぶことにしています。貴方も一緒に考えてみませんか。

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