正直言いまして、私は「僕(私)」と「君(あなた)」だけの歌詞で綴られる嘘っぽくて狭い世界観の歌には辟易しているのです。
そこで、シンガー・ソングライターを目指すあなたには、修行の鍛錬のためにも以下のようなお題(課題)で、新しい歌詞の制作をしてみてください。
■課題設定
一人称・二人称の単数形を避けて、それ以外の人称で歌詞を書く。主に、三人称を土台にして一人称・二人称でも複数形を使う事です。
それも「君と僕」のみの意味合いになるような複数形である「僕たち(私たち)」は避けてください。
※ややこしいのですが、同じ「僕たち」でも、「君と僕」だけを意味するのではなく、もっと広い世界の人々を意味するような表現となる場合もあります。それはオッケーです。それについては、後もって歌詞の例示を行います。
さて、この設定では、あなたがいったいどんな歌詞の歌を作れるのか、あるいは設定次第では突然書けなくなったりするのかを自己検証してみてください。
■「人称」について
もう少し、「人称」というものについて述べてみます。
本来、日本語における人称表記や表現はとても曖昧なことが多く、暗黙の了解のうちに省略されることも多々あります。ですから、ここでいう人称理解は英語の枠組みを土台としての説明になります。
基本形
一人称……私、僕
一人称複数形 私たち、僕たち
二人称……あなた、君
二人称複数形 貴方たち、君たち
三人称……彼女、彼、彼女ら、彼ら、人々、仲間たち、野郎ども、
無人称……上記以外で表記なし、或いは「向こう三軒両隣」、「市民」、「県民」、「国民」他
基本的には、一人称・二人称<三人称・無人称の方向で、世界観が広がっていきます。私としては、世界観は出来るだけ広く設定する方が、ドラマ的展開や表現の世界においてスケールが大きくなり、展開の仕方に無限のバリエーションが可能になるのでオススメです。
日本語においては、明瞭な文法カテゴリーとしての人称は存在しないとはありますが、かといって人称がないというわけではなく、人称としての主語が隠れていたり、省略されていたりするだけの場合は多々あります。また、あいまいな表現の場合もあります。
例えば、日本語で「昨日、◎◎へ行きました。」とあったとしたら主語で「私は」の言葉が抜けていることが解ります。それは、省略されていても読む人や聞く人には主語が誰であるかが分かるからであります。
でも、英語の場合では「go」や「went」だげではどうも具合がよくないらしくて「I」や「you」などの主語が一々求められます。
とにかく明るい安村ですのかれではないですが、
「心配いりません。」「履いてます。」
を、英訳すると自動的に人称が付きます。
“Don’t worry.” “I’m wearing them.”
という具合になります。
「一人称・二人称」の複数形の場合
例えば、妻と自分のことを「僕たち(私たち)」と表現する場合があります。また自分と彼女のことを「私たち」と言ったり、家族の3人・4人~のことを「私たち」というような場合もあります。
複数形ですから、それだけでなく次のようなことも考えられます。
「生まれたときから僕たちは 滅びていく道を歩いてる」
この表現の意味するところはもっとスケールが大きいです。
この場合、それは同じ「僕たち、私たち」なのに、意味する範囲が「人類」そのもの全体であったり、ことによれば「生きとし生けるもの」のすべてを意味すると考えることもできるかも知れません。スケールが飛躍的に大きくなっています。
そんな一人称の複数形でダイナミックな表現もできることを頭に置いておくのもいいですね。この歌詞の全体は、後に添付します。
歌詞の紹介
□三人称の歌詞
彼女と彼(作詞:作曲:歌:泉谷しげる)
ふたりはけっしてふまじめでなく
愛しあってたつもりなのだが
時があまりに早く変わり
彼女はついに乗り遅れた
彼女は今をただ欲しがり
彼はチャンスをただ欲しがり
見るもの 聞くもののすべての
分かち合いは明日に持ち越した
小さなお金お金を出し合って
いろんな街を飛び回った
彼女はこのままが一番よく
彼はこのままが一番悪く
思いがけない彼の出世に
場所が大きく移りかわった
だけど困ったことに彼には
変わらぬ彼女がハナについた
彼はいつもイライラしてた
昔と変わらぬ彼女に向かって
変化したことを教えるが
彼女はついに乗り遅れた
とても偉くなった彼に
新しい女がやってきた
優しい言葉の全部が
新しい女にそそがれた
こんな風に、三人称の立ち位置から見た、ある「男と女の二人」が歌われるという設定の歌はとても珍しいと思います。
内容全体が、ある夫婦のすれ違いドラマ風仕立てとなっていて、世の中に時としてあるような大人の事情がストーリー仕立てになっています。こんな詩も書けるのだという泉谷氏の才能が光る一曲でしょうか。
■一人称複数形の歌
幸せそうな人たち
作詞・作曲:犬塚康博
歌:加川良
♪ 若い頃はただそれだけで
すべてのことが許されて
あやまちさえも美しく
我がままであればあるほどに
幸せそうな人たちが
十二月の灯りの下にいる
生まれた時から僕たちは
滅びてゆく道の上にいる
生まれた時から僕たちは
滅びてゆく道を歩いてる ♪若い頃のままであれと
少女のように少年のように
夢とうつつを並べ替えて
疫病を覆い頬紅を塗る
幸せそうな人たちは
泣いて笑い花を咲かす
生れた時から僕たちは
滅びていく道に花を飾る青い春は石を剥がし
朱い夏に石を投げた
白い秋は石を切り出し
黒い冬に石を敷く
幸せそうな人たちが
季節をなべて歌い踊る
生れたときから僕たちは
滅びていく道を歩いてる生れたときからたちは
滅びていく道を歩いてる生れたときから僕たちは
※「疫病」(ここでは、「えやみ」と読んでください。)
まるで、加川良さんの書きそうな感じの詞ですが、実は違います。なのに良さんのためにこそ書き下ろされた歌詞に思えます。
良さんの哲学である「人類すべて平等」感があります。
「生きとし生けるものは、もれなく滅びていくものだ。」とい人間の宿命のようなものを言い当てています。
人間は、全て裸で泣いてこの世に生まれ、富める者も窮するものも例外なく、平等に滅びていくというような思想が言葉の裏に感じられます。
ここでいう「僕たち」という一人称は複数形になっていて、なんと「私」ではなく「人類全体」をも指していると考えたほうが理解としてしっくりいきます。そんな神業がここにはあります。
どうでしょうか。二つの例として、「彼女と彼」という歌と「幸せそうな人たち」という歌を紹介しました。
さて、シンガー・ソングライターを目指すあなたは、これらを参考としながら「一人称」「二人称」の単数形を避けることによって、どんな歌詞の歌をつくることができるのでしょうか。
期待しています。良ければ、私にメールをいただくとコメントも差し上げたいと思います。


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