ソングライターのための作詞論!プロの定石イロハの「イ」について

歌詞作りの課題

■定石とは?

今時は無秩序で何でもアリのように音楽が溢れているような時代に思えます。ですが同時につまらない歌詞の歌もとても多くあります。それでいて、つまらなく思える歌が平気でバズっていたり、「えっヒットしてる?」と聞いて私は初めて聞くのにと困惑したりすることもあります。

思えば、「ヒット=いい歌」という公式が成り立つのは、割と狭い条件下における場合でありまして、例えばアイドルたちの一時期は巷に溢れたようなsound曲が、10年後のブックオフで、二束三文でたたき売り状態であったりするのを見るにつけそう思います。

また、子どもの頃に好きで見ていたTVアニメのテーマ曲なども、思い出の絡んだ懐かしのアニソンではあっても珠玉の名曲とは思えないものです。

ここでは、巷にあまた溢れている玉石混交の歌の歌詞について、「才能アリ」「凡人」「才能ナシ」三つに区分するための、大まかな視点を簡単に提供します。

よくある勘違いで、自分なりにいい歌詞が書けたと思っても冷静に見ればつまらないもので、本人だけが書けたつもりになっているだけという場合は多々あります。それは、俳句の夏井先生が指摘されるような誤りが唄の歌詞の世界にもよくあるということを知っておきましょう。

その1.□抽象名詞は要注意!

いちばんよくあることでは、言葉選びで「未来」とか「希望」とか「永遠」とか「奇跡」、「愛」、「運命」などの抽象名詞を使って、その個人的なイメージや語感の心地よさに幻惑されて「いい詞を書けた」と勘違いするパターンが多いです。

ですから、絶対ダメというわけではありませんが、抽象名詞を使うときには特に注意をはらってください。ではなぜ抽象名詞が要注意なのでしょう。これを読んでいる貴方はどう思いますか。実験してみましょう。

A:「未来」「希望」「永遠」「奇跡」「愛」「運命」
B:「ラジオ」「窓」「薬指」「スマートホーン(スマホ)」「鍵」「手のひら」
C:「登山道」「砂浜」「交差点」「まっすぐな道」「踏切」「街路樹」「パラセール」
D:「東京タワー」「清水寺」「本牧埠頭」「見浦岬」「日産スカイライン」

思いつくまま、適当に言葉を並べてみました。A: B: C: D: それぞれにどんな違いを感じますか?

B C Dについては、実体のある具体物や実際の場所です。ところが、Aだけは映像的な実体がありません。概念はありますが、実体がないので人それぞれの自由な(統一性のないバラバラな)イメージに任されます。

ということは、歌の送り手と聞き手の間に共有されるべきイメージ画像が上手く結べなくなってしまいます。つまり、送り手が具体的な画像を送れないので受け手も勝手に自分流に解釈してしまうということが起こってしまいます。

Aに挙げた言葉は、よく卒業ソングや式での祝辞などに出てくることばですね。
例えば、小学校の卒業式で
・「皆さん、明日の輝かしい未来に向かって、大きな希望をもって中学校でも頑張ってください。」
・「ここで培った友情を大事にしてください。」
・「皆さんをここまで大きく育ててくださったお父さん、お母さんに感謝しましょう。」

ここで言う「未来」「希望」「友情」「感謝」などの言葉は、美辞麗句として式辞や祝辞として便利に用いられるもので、それはだれも傷つかずに皆が祝福された気分になっていいとされますから、日本的な(つまらない)文化として定着しているものでしょう。

もし、もっと本質にこだわるのならば、かけっこでいつも一番だった子どもへの言葉と、いつもビリだった子どもへの祝辞は違っていてしかるべしかも知りません。また、成績のいい卒業生と成績の悪い卒業生へのねぎらいの言葉は、変わるべきかも知れません。

何故なら、中学校、高校と進むにつれて進路やその広さ・狭さは必然的に変わってくるからです。それを「未来」「希望」などの美辞麗句で一くくりにしてしまう乱暴さには、私ならば卒業式そのものの存在意義を疑ってしまいます。

卒業生の明日(未来)は偏差値や点数によって容赦なく仕分けされてしまう運命にあるのです。欧米の進んだ国では、美辞麗句よりもユーモアのほうが優先されるようですから、日本よりは大人の国なんでしょう。

いずれにしても、この「実体」や「映像」のない空虚な美辞麗句の使用にあたっては特別の配慮をして欲しいものです。

A: B: C: D:と適当に思いついた言葉を羅列したわけですが、B:C:D:は、それぞれに実体的な映像イメージがあり、歌の歌詞に取り込むと効果的な言葉になるものばかりです。

因みに、忌野清志郎さんは「トランジスタラジオ」という言葉を使いましたし、ユーミンは「見浦岬」「ドアのへこんだ青いセリカ」(スカイラインではなく)というワードを使いました。いずれも効果的です。

その2.□個人的な想いの羅列はNG

貴方は、歌い手の個人的な想いの羅列に終始するような歌が増えている(蔓延している)ことに気づいていますか? 実は、それはNGだと思っています。

例えば、「ぼくは君に恋している」と思いだけを語るよりも、もっと映像化した動きのある表現をする方が、はるかにベターだと思うからです。

例えば、「逢いたくて街路樹の影で君を待ち伏せた」とか、「走るバスの窓に見つけた君を、自転車で追いかけた」とか、映像のある表現の方がはるかに素敵だし、聴く人と送り手の映像の共有ができるでしょう。

つまり、映像のない「思いの語り」は聴き手にそのままでは伝わり難いものだという当たり前の事(科学的で自明のこと)を肝に銘じるべきだと思います。映像のない言葉は、映像表現のあるものに加工し直して届けるというその過程における工夫こそ、アート(芸術)的アプローチなのです。

歌の送り手が、例えBTSであれ、B’zであれ、その思いが映像もない「思い語り」であればそれはNGです。送り手と受け手の間に共通のイメージがないからです。

それでも、「素晴らしい」と貴方を虜にしてしまう状況があるとすれば、それは貴方が「恋は盲目」の「アバタもエクボに見える」ような心理状況だからでしょう。

「オシ」(押し)には、もはや冷静な判断ができません。そこに「アート思考」は介在できないからです。

その3.□歌にドラマ性・ストーリーを持ち込む

その2について、肝に銘じる事ができるのならば、いっそのこと全体をドラマ仕立てのストーリーにしてしまうとgoodです。それは、ユーミンが頻繁に取り入れる手法です。

参考にして欲しい歌として「悲しいほどお天気」という曲があります。以前、これについて記事を書いたので、ここでは重複を避けますが、出来ればこのブログの中のその記事を探すか、新たにネットで検索して歌詞を読んでみてください。

ドラマ仕立てとか、ストーリーにすることの意味がよく分かると思います。それは、人間ドラマとしての映画を見ているような気分に浸れるものです。

その4.□情景描写を工夫する

ドラマには、情景描写がつきものです。映画などではカメラワークによる遠景→中景→近景という表現や、右から左へ(左から右へ)レンズをパーンさせるなどの、描写があります。

そこに海や港が写り込めば、「そのドラマが海際の街が舞台である」ということが解ります。もし、複数の線路が写り込んでいれば、見ている人は「結構な都会が舞台であること」を直感します。このように、ドラマの最初の掴みはそのような情景描写ではじまることが非常に多いものです。

それと同じことをユーミンは歌の最初の2~4行で情景描写をするということをよくやります。その詳細ついても、貴方自身で確かめて見てください。きっと、同じパターンの多さに驚く事でしょう。

「その3」と「その4」のこの技は、効果抜群だからこそユーミンは多用するのだということが解ります。絶対に真似すべき黄金技です。

ここで紹介したプロの定石の手法は、まだまだイロハの「イ」の部分にすぎません。今これを読んでいる貴方も、引き続きこのブログを通して、もっと様々なこ
とを学んでください。



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