ラブソングは「堪え性」をもって良しとすべし

歌詞の良し悪し

「君と出会った奇跡が この胸に溢れてる」(スピッツ:空も飛べるはず)

こんな歌があります。このように「出会い」を美化するラブソングは外にもままあります。しかし、そもそも愛(Love)とは出会いによって美化されるべきものなのでしょうか?

まず、第一に「出会い」とは奇跡ではなく単なる「偶然」だと思います。ですから、出会いを歌い出会いに終わる歌は、奥行きがなく底が浅いと思います。(申し訳ありません。スピッツファンの皆さん)私は、ラブソングこそ「堪え性」が欲しいと思うのです。

逆風に耐えてこその純愛とか、不倫の果ての熱愛とか、50年もの連れ愛とか、遠距離を乗り越えての恋愛成就など、まず、時間的奥行が欲しいものです。そして空間的広がりもいいですね。

回りの抵抗のない、ベタベタの恋愛なんてとつい眉に唾を付けてしまいそうです。いまこそ時代は若い人たちを取り巻く逆風があるじゃないですか。収入にも恵まれず恋愛経験のない非婚や未婚の若者が溢れていて、高いハードルをどう乗り越えるかを歌にしてみてはどうでしょうか?

また、そこにドラマも持ち込めます。戦地での恋。引き裂かれた男女の恋。国境をまたいだ恋。それぞれに堪え性が感じられます。例えば、その究極的な歌がユーミンの歌にあります。「ミスロンリー」という歌です。

Miss Lonely  作詞・作曲:松任谷由実

ミス・ロンリー
調子の狂ったピアノのふたをあけてみる
初めて人前で弾いた
短い曲を覚えてる
サクラの季節がめぐり来るたび
男の子たちを思い出す
女王のたすきをかけて微笑む
ほこらしそうな自分が見える
ミス・ロンリー

紅すぎる口紅と
肩の落ちそうなワンピース
あてもなく迎えに出る田舎の駅
今でも遠い半島の国で
あの戦争は続くから
本気で愛したあの人はまだ
まだ帰れない私のもとへ

ミス・ロンリー
50年前の日付のままカードを書く
ときには写真に向かって
白い髪を編んで見せる
ミス・ロンリー
身の上話をまともにきく人はいない

皆さん、どうでしょうか。50年の歳月を背負った悲恋とでも言えばいいのでしょうか。これが一つの「堪え性」と言えるものです。戦争の続く半島の国とはどんな地域をイメージしますか? クリミヤ半島でしょうか、朝鮮半島でしょうか、或いはそれ以外でしょうか?

それにしても、長い時間的奥行を壮大なドラマとして描き切るユーミンの才能はすごくないですか。白髪の老女が50年もの長きにわたって戦地から戻らないパートナーを待ち続けているという姿は、ある意味オドロオドロしくも思われる。

しかし、裏を返せば戦争というもののこの上ない理不尽さが立体的に立ち上がってくることでもある。

■加川 良さんの堪え性

ONE(作詞・作曲:加川良)

私の声が あなたに届くまで
たったひとつの ことば あなたに届くまで

遠い町で暮らしてきた あなたのこえ 灯して
光るレールを探そう あなたに響くまで

この風 もう春風 あなたの窓 ひらくまで
山の彼方の空から あなたを照らすまで

月へ行く人 地球まわる人
たったひとつの ことば どなたに届くかしら

星はいいなあ ただ空にある
僕も私の太陽も 今 ここにある

ここにも、決して交わることのなさそうな「堪え性」の極みのようなラブソングですね。小さな願いを胸に秘めて、ただひたすら遠くで見守るというような、そんな恋なのでしょうか?

最後の二行は、もはやそれが恋なのかどうかでさえ分からないくらいで、とても哲学的な終わり方をしています。

加川良氏を取り上げたので、もう一つ以下に紹介します。

サークル(作詞・作曲:加川良)

どれくらい あなたのこと
どれくらい あなたのこと
どれくらい あなたのこと
どれくらい あなたのこと

どれくらい あなたのこと
どれくらい あなたのこと
どれくらい あなたのこと
逢いたい  花咲くころ

こんな実験的な歌詞の歌が他にあるだろうか。バックの全面に流れるパーカッションの音がよく効いています。そこに、笛の音がスパイスを添える。

そもそも同じ言葉のフレーズを何回も何回も繰り返すだけで歌は成立するものだろうか?この場合、それが不思議に成立するのです。しかも、繰り返しは情の深まりを増す効果があることに貴方は気づけるでしょうか。

決して多くを語らない。語り過ぎない。「一つのことば」だけを繰り返し訴求力を増すとは、まさに堪え性の極みです。だからこそこのラブソングが軽佻浮薄な「ありがとうソング」や「媚び歌」に落ち込まないものとなるのです。

日本のラブソングの系譜

■男の望む価値観により女が定義され、それが押し付けられていた時代

戦前のことはよくわかりませんが、戦後の歌謡曲、とりわけ演歌には古い男尊女卑的な価値観が連綿と歌われていて、今でも演歌ファンにはそれが定番なのかも知れません。いわゆる女が惚れた男にすがって生きようとするような話です。

それが、歌謡曲サイドではテレサ・テンの歌う曲「つぐない」や「空港」などに見られるような感じが受ける時代がきました。愛する男性のためにそっと身を引く女性のような女の演出です。それも感性は演歌寄りと言えるでしょうか。

■もう一つの流れ

70年代当時、もう一つの典型的なムーヴメントが歌謡曲やフォークのジャンルで起こり、支持されていました。ぞれは、[純愛]+[失恋]と[それへの哀惜](未練)という公式的なスタイルです。多数これに類する曲はあります。「22歳の別れ」「神田川」「心の旅」等々ですが、この動きは80年代にも続いていたと思われます。

■今時の流れ

その後、「失恋ソング」は徐々に訴求力を失い誰もが知るようなヒット曲は減っていきます。
どこでどう分岐や変節が始まったのかはわかりませんが、2000年を跨ぐ頃からは、男性曲には、女性に媚びるありがとうソングが主流となったようです。

女性曲には、そこまで異性に媚びた歌は少ないようなので、この時代の特徴が「男が女に媚びることで、かろうじて生き残る時代」になったからなのでしょうか。男歌・女歌、共に「思いの羅列」調がとても多くて、そこにももう一つの大きな問題があります。

男女の不平等など、先進国の中ではとても遅れた位置にあるこの国とは言え、時代は変化しています。少子化、非婚、未婚、離婚などの増える中、若者の意識も変化していくものでしょう。それがいいのか、よくないのか、私にはわかりません。

「歌は世につれ、世は歌につれ」とは、よく言ったものですね。

私が願うのは、思い語りの羅列調ではなく、訴求力の増すドラマ仕立ての映像的なものが増えてくれることです。









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