アルバム「駒沢あたりで」における空間的広がりの表現

加川良ストーリー

■駒沢あたりで 作詞・作曲:菊田修一 歌:加川良

この歌、菊田修一さん作詞、作曲で加川良氏のアルバム「駒沢あたりで」に取り込まれたものです。歌における空間的広がりのある歌でとても分かりやすく、説明もしやすいのでここでセットしてみました。

犬を連れて散歩をするうちに見えてくる街や公園の中の様子を、写真を活写するかのように見たままを歌うという方法で作られています。

通常、多くの人たちが目にする街中の風景だと思われますが、意外にも誰にもこれまで歌われてこなかったモチーフです。敢えて、それらを歌詞に取り込んだということに、実はとても重要な意味があります。

見える(或いは見えた)もののうちで、何を表現する言葉として選び何を選ばないでスルーするか、その選択の仕方によっては全く別の歌詞になるのです。

ですから、ここで曲の詞のレベルが上がるも下がるも情景から表現としての言葉を選ぶ眼力が必要です。

実際にこのあたりに住んでいたという経験のある加川良さんだからこそ、この歌に共感したのでしょう。アルバムタイトルになったほどですから。

はじめの8行は雨の日のやりきれない心象風景です。そして、その後にいろんな人々が登場します。
雨があがり「傘を閉じる行き交うひとたち」、公園の中では「草野球をする人たち」「フリスビーを飛ばす人」「ラグビーをする人たち」などなど。

公園を出て通りに出ると、またいろんなものが見えてきます。
ガラス越しに見える喫茶店の小さなテーブルの二人。パトカーのランプ、スクールバス、タクシー、ラッシュアワーの交差点、再びの雨で急ぎ足の人々。車椅子に傘を差しだす人、頭を下げる付き添いの人、等々の通りにうごめくたくさんの人たち。

何気ない、よくある風景の一コマ一コマでありながらも、しかしそうでありながらも、その一つ一つはよくよく考えて選び抜かれた風景のようにも思われます。

■これは映画的手法です。何に目を止めるのか、それが問題です

映画のオープニングで、よく町の通りなどがカメラでパーンされていろんなものが映し出されるような場面あります。それに似ていると私は思います。そうしておいて、やがて主人公の姿にカメラワークが焦点化されていくようなやり方です。

それはつまり、最初にこの映画は、この町のこんな風景の中での出来事ですよという場(舞台)の設定に関する告知のようなものでしょうか。

この歌は、そのようなオープニングだけを歌として切り取ったような感じです。映画的な画像のように、歌が成立していることの良さがあります。

そして、それはそのまま空間の広がりを感じさせるものとしても成功しています。つまり、歌の世界が一つの街のサイズまで拡大しています。

そこでは、何に目を向けたのかということが、作者のセンスというものでしょう。一つは公園での風景です。日常的にスポーツや余暇を楽しむ人たちのことです。二つ目は、ガラスの向こうの恋人たちの姿に、気持ちを寄せています。

そして次に街中の喧騒が、排気ガスやクラクションの音の飛び交うラッシュアワーの交差点として映し出されるのですが、子どもの気配(スクールバス)や体の不自由な人(車椅子)についてもそれとなく弱い立場の人たちまでもが描かれているのが、憎いですね。

■最後の場面は再び公園の風景に戻る

売店はシャッターおろし店じまい
噴水に浮かんだモーターボート
坂道を走るローラーボード
誰が忘れた自転車が一台
雨に濡れるベンチも濡れる
買い物かご下げた若い奥さん
子どもの手をひき雨宿り
駒沢あたりで

「売店」「噴水」「自転車」「買い物かご」などは、日常の風景なのであまり歌の歌詞には用いられにくいものですが、それを敢えて使うことにこの歌のオリジナル性とセンスの良さがあります。

ここにならぶような言葉の一つ一つに、これまで目を止めて歌の歌詞として曲に引き込んだシンガーソングライターがどれほど居たのでしょうか?

一見、何気なく選び取られた言葉ですが、歌の背景として人や物の名前にそれとなくこの街で生きる人々の生活感や人生のようなものを薄っすらと感じさせる効果を与えています。

そしてそれは、空間的なものだけでなく、内容的にもドラマ的な奥行きを与えています。

というようなことを考える時にこれは、歌という表現の無限性を示すものでもあると私には思えるのです。

なのに、多くのライターは、自らの可能性を狭く閉ざして自己規制という檻の中に自らを封じ込め過ぎていると思われます。

何も、若い男女の恋に関するものだけが音楽じゃありません。題材はv無限にあるはずで、カウンターカルチャーとしての新しい価値観を歌ったとしても何も問題はないはずであります。

私は強く思います。これから世に出ようとする人たちは是非、自己規制の自縛を自ら解き放して、自由な表現、これまでにないような表現に果敢にチャレンジして邁進して欲しいということを。

■地名などの固有名詞を使うことの効果とは

ここでは「駒沢」という地名(固有名詞)に関することが題材になっています。この歌の「公園」というのは駒沢公園のことでしょうか。

そこで、考えておきたいことに地名などの固有名詞がとても効果的である場合についてです。

例えば、ユーミンには「山手のドルフィン」「観音崎の歩道橋の上」など割に多いように思います。ここらはユーミンファンならではの聖地として今でも語り継がれていることでしょう。

同じく「ランドリーゲートの思い出」という歌には、米軍立川基地内にあった巨大な洗濯工場最寄りの基地出入り口(ゲート)のことがモチーフとして歌われています。

中央フリーウェイ」の「調布基地」と共に、この」「ランドリーゲート」もまた、ユーミンの育ちのなかにあった思い出の場所を上手く歌に取り込んだ例でしょう。

また西岡恭蔵さんの場合は、旅歌が得意だったので国の名前や都市名、地方の名などがたくさん出てきます。
♬「バルセロナ グラナダ harry up toマラケシュ」♪♫などもそうです。

「ポートメリースー」という歌もありますし「我が心のヤスガーズファーム」という歌は、かつてのビックイベント野音、ウッドストックの聖地だ場所のことだそうです。

冒頭の加川良さんにも「高知」「アラバマ」「あの子と長崎」などの唄があります。また、歌い出しが「レゲエのB-inブルースのTボーン」というフレーズではじまる晩年の歌には、岩手県にあるレゲエの流れる店と鹿児島県市にあるブルースの流れる店の店名が出だしから使われています。これも固有名詞です。

このように思い入れのある場所や町のことなどを表現に盛り込むのは、表現にリアルさを増し、その固有名詞の持つ元々の力というものを利用するということでもあります。

例えば、「原爆ドーム」、「ヒロシマ」、「千羽鶴」と言えば、被爆や戦争というものの歴史という重いものを引き込む働きをします。

「スカイツリー」「東京タワー」「●〇岬」「〇●山」「●〇海岸」「〇〇通り」「国道〇号」「ホテル〇●」等々、様々ある固有名詞も使うと面白いと思います。くれぐれも演歌的、ご当地的にはならないようにしたいものですが。

このほかには、都市や町の名前、人の名前や映画のタイトル、絵画のタイトルなども固有名詞です。タバコの銘柄名、紅茶の葉の種類、コーヒーの種類、スパイスその他、無限に考えられます。

ほんとうに様々ある中から、選んだものを効果的に使うことを考えてみればいいと思います。私としては「ドルチェ&ガッパーナ」はピンときませんでしたが。

コメント

タイトルとURLをコピーしました