メイクドラマ曲その1「悲しいほどお天気」【歌の「時間的奥行き表現」について】

メイクドラマ

私は、曲の圧倒的なパフォーマンスの向上手法としてドラマ仕立てにすること(メイクドラマ)が、最も早道となることを語り継いでいきたいと思っています。

そして、その際に「時間的奥行き」表現と「空間的広がり」表現を取り入れると、効果的にドラマメイクが成立する仕掛けになります。

ではなぜ、表現には時間的奥行きが必要なのでしょうか?
例えば、ドラマや映画では様々な手法で時間的な奥行きが表現されています。

大河ドラマ、大河小説などでは、主人公の子ども時代から年を取って死ぬまでが描かれてみたりします。それは、長い時間を扱うことで作品に厚みが出て、リアリティーが増しその分作品が大きくなるからです。

また、1時間程度の刑事ドラマなどでも、よくこの手法は使われます。例えば、ある事件が起こり、その捜査の段階で13年前の出来事が大きく関係しているなんていう筋の展開は多いものです。

私も水曜ドラマ「相棒」はいつも見て感動していますが、やはりこの手の手法はよく使われます。これにより、解決すべき事件の全体像がとても立体的にたちあがってくるのです。もちろん、「科捜研の女」でもそうです。

その他、「子どもの時のトラウマが…」とか、「3か月前の出来事で……」とか、「わずか昨日の〇時から今日の●時までの間の容疑者の足取りはどうなのか」等々時間的奥行きがポイントとなっていて面白い場面はたくさんあります。

もっとも、犯人の足取りを追う場面は空間的広がりをも同時に意味します。

そのようなことと全く同じで、本来物理的には数分程度の時間と言葉の数も限られた条件下にある歌(楽曲)の世界であったとしても大きく文芸的な質量を増すためには、「時間的奥行き」と「空間的広がり」が必要なのです。

それでは歌としての例を挙げてみます。ここではユーミンの例で。

悲しいほどお天気 :作詞・作曲 松任谷由実

浄水ぞいの小径をときおり選んだ(情景描写)
夏の盛りの日もそこだけ涼しくって(情景描写)

名もない蔦や柳がひくくたれこめて(情景描写)
絵を描く私たち それぞれひとりにさせた(情景描写)
まるで先の人生を暗示するように

みんなまだ
気づかずすごしていたんだわ
ずっといっしょに歩いてゆけるって
だれもが思ったム・ム‥‥

拝啓。今はどんな絵仕上げていますか
個展の案内の葉書がうれしかったの
臆病だった私は平凡に生きている

みんなまだ
信じてすごしていたんだわ
ずっといっしょに歩いてゆけるって
だれもが‥‥
いつまでも
私の心のギャラリーにある
あなたの描いた風景は
悲しいほどお天気ム・ム‥‥

(アルバム「悲しいほどお天気」の中のタイトル同名の曲)

■【この詞を分析してみましょう】

饒舌なドラマメイク
初めの4行部分は、ユーミンお得意の情景描写で入る手法でそれはそのままドラマの場の設定であり、それは同時に「空間的広がり」を意味する映像としての機能を果たしています。

歌はドラマとして全体的に、昔のことを振り返って書かれているというスタイルで書かれていることは感じてもらえると思います。そういう意味ではすでに時間的奥行きがあります。

この歌詞から私は次のようなストーリーが読み取れます。
彼女には大学時代に、当時の恋人と二人して絵画の道を志し一緒に歩んでいる時代があったのです。そんなストーリーです。

ところが、彼女はその後、挫折してしまったのか、諦めたのかは分かりませんが、今はごく平凡な暮らしをしている。すでに当時の彼とは、もはや恋愛関係にはなく、もしかしたら別の人と結婚して家族を作り今の生活があるのかも知れません。

ある時、個展の案内の葉書が届く。それは、うれしいのと共に、今でも初心を忘れずに着々と自分の夢に向かって成功を収めつつあるかつての恋人が眩しく輝いて見えたことでしょう。

そしてその裏には自分の選択に関する苦い後悔の念と未練がましい感情がクロスしているのかも知れません。

ユーミンの他の歌のフレーズでこの状況に当てはめてみると
「どんな運命が 二人を遠ざけたの」というところでしょうか。

このように、ユーミンは凄いストーリーメーカーなのです。たったこの一曲で一つの映画が作れるほどのドラマ性を内包しているのです。

もし、私がこのストーリーを下敷きにして映画を作るとしたら、オープニングを今ある彼女の生活情景にするのか、若かった過去の大学時代をスタート点にして時系列にストーリーを紡ぐのか悩むところです。どちらもアリです。

そして、エンディングに向かう「今」の状況をどう動かしていくのか、そのドラマ仕立てを考えるだけでワクワクしてきます。
「誰か私にメガホンを取らせてくれませんか!」と叫びたい気持ちです。

さて、特に「時間的奥行き」を感じさせる歌詞の部分が

「拝啓。今はどんな絵仕上げていますか
個展の案内の葉書がうれしかったの
臆病だった私は平凡に生きている」

という部分であることは明らかです。
この三行のフレーズで、現在とのかなりの時間的へだたりがあった後にこの葉書が届いているということが読み取れます。もしかしたら、それは毎年の恒例の個展の案内なのかも知れません。それを心待ちにしている彼女の平凡な生活があるのかもしれません。

平凡な今の生活の中に時々舞い込む個展の案内とは、彼女をして若い時期のノスタルジーに引き戻すのか、「臆病だった」自分への叱咤や罰として受け止めようとしているのか、興味深いものです。

どうでしょうか、このような私のストーリー分析について、今これを読んでくれているあなたの感想はどうでしょうか?
私があなたに伝えたいのは、このわずか20行ほどの歌詞が、これだけのドラマを感じさせてくれるということのスゴさです。

シンガー・ソングライターを目指すあなたなら、是非このようなストーリーメーカーを目指して欲しいものです。

■ドラマ性以外の分析ポイント

最初の4行はいずれも情景描写で、この歌全体の掴みの部分で映像化を完成させています。

「悲しいほどお天気」のタイトルは歌の最後を締めくくるフレーズとしても使われていますが、いわゆるパラドックス(逆説)の表現です。そこにも主人公の複雑な心の機微が見え隠れしているのです。

最後に、この歌のメロディーですがそれは半音を多用した、とても複雑で不思議な感じのするメロディーラインです。ユーミンならではのものです。

因みにユーミンの場合は、その楽曲づくりの工程として初めにメロディー(作曲:ユーミン)があり、次にアレンジャー松任谷氏の曲調づくりを経て、最後に歌詞(作詞:ユーミン)を付けるというものだそうです。

最後の段階での作詞というのは驚きです。メロディーと曲調が先に決まってしまえば、語数と詩のイメージに制約が厳しくなるからです。素人の私にはそんな技、信じられません。

松任谷正隆氏の話によれば、「春よ、こい」という曲では最初ユーミンは洋楽のイメージで曲を作ったということです。それを聞いた松任谷氏が「和」のイメージの曲想で行くべきとユーミンとやりあったとか。イントロから丸ごとの和のテ-ストアレンジをして、結果あの歌ができたということらしいです。

本題から逸れた話が長くなってしまいましたが、以上で今回の記事を終了します。

※これからもいろいろな曲を例として引き合いに出しながら、それを分析するというスタイルをたくさんしていきたいと思います。
できれば皆さんからの歌詞の提供とその分析も知りたいものです。

その際には一つの同じ物差しを使った論議をしないと、例えばテレビ番組のプレパト式のように「才能アリ」「凡人」「才能なし」の優劣の付けにくさが残ります。

相手への気兼ねばかりが先に来て、「どれもそれなりにいいということにしよう」となりかねないので、取りあえず初歩の段階では以下に提示している「三つの観点」を基にして論議できればと思っています。

※三つの観点 ・時間的奥行き ・空間的広がり ・究極の言葉選び

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