詩人の名にふさわしい曲で、まず思い出す「下宿屋」
加川良氏は、第2回中津川フォークジャンボリーでトビ入り参加をして以来、話題となりプロ活動を始めるという経緯のようです。その時の歌は「教訓」と「伝道」という歌で、いずれも良さんの原点となるものです。
「教訓」は、どんな時にもライヴの際には歌われていたもので、最初からそして人生最後のライブ活動に至るまで常に歌われていたもので、一番歌われた曲ではないでしょうか。体制批判のスピリッツもあり、団塊の世代の心意気がそこにありました。
さて、今回ここでは「下宿屋」という語りの歌を紹介します。ほとんどが語りで綴られていて、メロディのある部分は少しだけです。そして、その語りの部分が詩人然としていて吟遊詩人を思わせます。
シンガー・ソングライターを目指す人であれば、一度その詩の世界に浸ってみるのもいいと思います。
下宿屋(詩)
作詞:作曲:加川良
京都の秋の夕ぐれは
コートなしでは寒いくらいで
丘の上の下宿屋は
いつもふるえていました
僕は
だれかの笑い顔が見られることより
うつむきかげんの
彼を見つけたかったんですひもじい気持ちも あまりに寒いせいか
感じなかったようです
ただ たたみの上で
寝ころびたかったんです
やさしすぎる 話のうますぎる
彼らの中にいるより
うすぎたないカーテンのむこうの
裸電球の下にすわりたかったんです彼はいつも誰かと
そしてなにか待っていた様子で
ガラス戸がふるえるだけでも
「ハイ」って答えてました
そのハギレのいい言葉は
あの部屋の中に
いつまでも残っていたし
暗やみでなにかを待ちつづけていた姿に
彼の唄を見たんです湯のみ茶わんにお湯をいっぱい
いれてくれて
「そこの角砂糖でもかじったら」
って言ってくれました
その時「ありがとう」と答えてうつむいたのは
胸が痛み出したことと
僕自身の後めたさと…かわききったギターの音が
彼の生活で そして
湿気の中で ただ1つラーメンのこうばしさが
唄ってたみたいです
ブショウヒゲの中から
ため息が少しきこえたんですが
僕にはそれが唄のように聞こえたんです♬一杯のみ屋を出てゆくあんたに
むなしい気持ちがわかるなら
汚れた手のひら返してみたって
仕方ないことさ
あせって走ることはないよ
待ちつかれてみることさ
ため息ついても 聞こえはしないよ
それが唄なんだ ♬僕が歩こうとする道にはいつも
彼の影が映ってたみたいです
小さな影でしたが
誰だってその中に入り込めたんです
それから彼の親父が
酔いどれ詩人だったことを知り
今 僕がこうしているから
彼こそ 本当の詩人なのだと
言いきれるのです新しいお湯がシュンシュンなった時
ラーメンをつくってくれて
そしてウッディやジャックを
聞かしてくれたんです
それから 僕が岩井さんや
シバ君と会えたのも
すべてこの部屋だったし
すべて僕には唄だったんですなにがいいとか 悪いとか
そんなことじゃないんです
たぶん僕は死ぬまで彼に
なりきれないでしょうから
ただ そのはがゆさの中で
僕は信じるんです
唄わないことが一番いいんだと
言える彼を
私はいつも、出だしの
「京都の秋の夕ぐれは、コートなしでは寒いくらいで」
のたった数行で、何か背中がゾクゾクするような詩情を感じるのです。
1960年代後半の反戦フォークやプロテストソングの収束した時代背景に伴って、「生活派フォーク」(四畳半フォーク)と言われる歌が胎動してきます。それも歌謡曲とは一線を隔す一つの意志表明のようなものですが、この歌詞(詩)にもそのような精神が大いに感じられます。
あなたの生活の様子とはクロスする光景は少ないかも知れません。でも、
1970年前後まではこんな景色はよくありました。
メロディのある部分は♬~♬の間のところだけです。他は、全て語りの部分です。細かく私が詩情を説明するまでもなく、自分で感じてみてください。多分、その深い表現は一度や二度読んだぐらいでは、自分の中で消化しきれない理解のレベルのものかと思います。
得てして簡単すぎるものは、奥行きがなく玄関を入った途端、もう出口かという状態のものもあります。
だからこそ、こんな詩で長い付き合いとなるような関係になればいいと思いませんか? この先の貴方の人生の節目節目でまた違った意味や景色がみえてくるかもしれません。いい文学というものは案外そいうものです。
加川良さんプロフィール
加川 良氏について、そのアウトラインを少し紹介します。団塊世代1947年生―2017年4月5日病没。
2016年12月、筆者は福岡のライブハウスで加川氏の歌を聴き、開けて翌年4月には訃報を聞くことになるとは思いもよらないことでした。
氏は滋賀県彦根市出身ですから、やはり関西フォークの一翼を担った感があります。初期の曲やアルバムには関西の雰囲気がよく出ています。
其の後、居所を東京駒沢に移し、アルバム「駒沢あたりで」など新しいスタートを切ります。晩年は山梨県北杜市に移住して終の棲家とされたようです。ただ、氏はライブ中の軽妙なトークの中でも、個人の身内の話や生活場面などについては触れられませんでした。
北から南まで、一年で日本列島一回りのようなライブ活動。そんなペースで長年活動されていました。ですから良さんの歌には「大阪」や「高知」のような地名や、岩手にあるレゲエの流れる店「Be-in」、鹿児島市にあるブルースの流れる店「T-Bon」などが出てきたりするのです。
また良さん、ボブ・マーリーの大のファンで「アイ&アイ」という歌はボブ・マーリーのことが歌われています。それがまた、しっとりと変わったアレンジの美しい歌です。あの時代、ボブ・マーリーの激しさが良かったのでしょうね。


コメント