
三つの基準【曲(歌)の良し悪しを決める基準とは】
曲の要素には、いろいろなものがあります。
・メロディー
・リズム
・アレンジ(イントロや間奏、どんな楽器を使うか)
・ハーモニー
・コーラス
・詞調・言葉・詩の境地
・その他
など様々ですが、ここでは私の専門とする詞調・言葉・詞の境地に関わることに限定してみることにしましょう。そうすると以下のようなことになると思います。
【ドラマメイク】
私は、まず第一に楽曲(歌)というものにドラマ性があるかないかが大きな良し悪しの決め手となるものだと考えます。
曲を聴いて、その情景がありありと頭に浮かぶような表現は私たちが感動するときの第一の大条件です。
そこには、言葉によって同質のドラマの映像(画)が聞く側にもイメージされることが必要で、曲の送り手と受け手の多くが同じ画を共有できることで完成するのです。
テレビ番組のプレパトでも俳句の夏井先生は、映像化することをとても重要視されますが、それと共通しています。わずか17文字での文芸である俳句でさえもそうなのですから、歌がそうでないはずがありません。(決して俳句をバカにしているものではありません。)
歌詞を言葉で紡ぐこととは、小説やドラマの中で使われる言葉の量よりもはるかに文字量が少ないわけですから、その言葉の選び方が重要になります。
言葉選びに関する例を少しだけ挙げてみましょう。
【抽象的で映像のない言葉は✖】
「奇跡」「未来」などの言葉はそれ自体抽象的な語句であり、その裏に映像はなく、単に耳障りがよいだけです。ですから、その言葉から何か画をイメージすることは難しく、人それぞれの認識はバラバラで共有できません。
ここでいうダメ出しの意味は、取りあえず「メイクドラマ」のストーリーとして歌を作る際には「伝わらない」という意味で良くないということです。
【散文的なだけの表現✖】
自分の思いを、話しかけ調にして多弁的に語るのは大抵の場合NGです。多くは語り過ぎに陥り、もっと選び抜いた奥のある短い言葉に多くの意味を込めて語らせるほうがベターだと思います。
聞く側に「読み取らせる」「考えさせる」「感じさせる」ことが、つまりは奥行きというものです。
散文的に過ぎるということは、聞く側に映像が伝わりません。残念なことですが今どきの若い人たちの歌にはこれがとても多いと思います。
自分の思いをそのまま言葉にしても、それは他者であるBさん、Cさんには伝わりません。なぜなら他者であるBさん、Cさんはあなた自身ではなく別な人格と感性を持つ人だからです。
自分の思いを懸命に語りかければ、きっと伝わるはずだと思うのは錯覚です。だからこそ、具体的な画像を介して共有すべきなのです。それが表現ということの神髄であり同時に醍醐味でもあります。
例えば、一つの例として「ダイヤルまわして 手を止めた」(「恋に落ちて」のサビ部分)という短いフレーズで考えて見ましょう。
このたったこれだけの「動き」の表現ですが、送り手のAさんと受け手のB・C・D~~~さんのすべてが共有できます。なぜならダイヤルを回すという動作が画像を伴っているからです。しかも、その画像からは恋に落ちた女性の様々な心の動きまでも他者に伝わるのです。
ここでは、ダイヤルを回すという具体的なしかもちょっとした動きで表現したことで成功していることの見本でしょうか。
今では、電話をするのにダイヤルを回すという行為はありませんが、数字をプッシュするという行為に置き換えて考えてみることはできるいでしょう。
要はできるだけ具体的なことや具体物を言葉として取り込むことで、表現に強さ(インパクト)と伝わりやすさを同時に持ち込むことができるということです。
このようなことは、テレビ番組の「プレパト」を見て私も勉強したことです。以上のようなことを踏まえて、以下のような基準を考えてみよう。
解りやすく三つ基準を決めよう
できるだけ具体的に話してみます。
第一段 <歌は「メイクドラマ」だと心得るべし!>
もし貴方がシンガー・ソングライターを目指すならば、メロディーメーカーを目指すとともに、ストーリーメイカーになることを目指さなければならない。
そしてその重要な要素が、以下の三つです。
■1.「時間的奥行き」という物差
■2.「空間的広がり」という物差し
■3.「究極の言葉選び」という物差し
この入門講座の初めのテーマ(課題)として、作品のドラマ性の有無、そしてその出来栄えというものを、上の三つの要素を適宜絡めながらたくさんの例示を素材として進めて行きたいと思います。
以下、乞う御期待のほど!
なぜ、はじめにこのテーマを持ってきたのかと言いますと音楽、特に主に言語表現に関しては映画や小説、テレビドラマのような映像的な同質性があると思うからです。
音楽の送り手と聴き手がそのイメージを共有できれば、取りあえず両者の相互理解が最低限でも成立するからです。
身近な例として、例えば
「長い長い砂浜を 白い犬が走っていくよ」
という送り手の歌詞があったとします。
聞く側としては、狭い岩場の磯浜などは想像しないですむし、「長い長い」の言葉から広く遠くまで続く砂浜と海をイメージできます。それは空間的広がりを表現しています。そしてそれは送り手のイメージと同質のものです。
次に「白い犬が走っていく」の動きを表す言葉から送り手とリスナーが同じ動きのイメージ(画)を共有できます。
当然ですが、黒い犬は想像から除外されるでしょう。これは、メイクドラマにおける広い景観の空間的広がりについての共有です。これが映画であるならば、そういう画像がカメラワークとして映し出されるはずです。
この歌が続いて「同じ光景を 僕は12歳の冬にも見た」
と続くのだとしたら、この主人公が既に大人であり、数年~数十年の時間的隔たりの後に、この同じ場所に立っているという時間的奥行きが成立します。
その男性は、たまたま帰省したのか、それとも郷愁に誘われて思いを募らせてここに来たのか、或いは故郷にUターンしての新しい人生の第一歩をこの浜辺から始めたいのか。等々、ドラマの次なる展開が期待されるわけで、それにはどうしても時間的奥行きの概念がないと成立しません。
また、それと共にもう一つは、聞き手に想像の余地(余白)を残しておき、説明しすぎないと言うことも重要です。それは、想像して楽しむという快楽を聞き手に保障するためでもあります。
私が伝えたいのは大まかに言ってこのような事だと思います。
説明不足の点はお詫びします。
もちろん、「メイクドラマ」が創作活動のすべてではありませんが、取りあえず第一段はこれで考えて、しばらくは話を続けます。そうして話が一回りしたところで次の段階に行きたいと思います。
また、その後の段階としての様々な表現の方法について以下のようなことが考えられます。この通りに話が進むのかは別として、変更や新たなことが追加されたりすること
もあります。
・曲のテーマ性とは?
・シュールな表現とは?
・耽美的な表現とは?
・韻を踏むとは?
・反戦歌
※ビロード革命と「ヘイ・ジュード」
・放送禁止歌談義
・ユーミンに物語
・加川良ストーリー
・西岡恭蔵ストーリー
・ミュージシャン列伝
・こぼれ話
etc.etc
もし、こんな事も加えて欲しいとか、こんな話を提供しますとか参加精神の旺盛な方は、どうぞご教授くださいませ。相互性の広がりや、話題の広がりは歓迎です。


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