メイクドラマ6「最後の春休み」ユーミンのスクールデイズソングは意外と多い

メイクドラマ

■ユーミンのメイクドラマ「スクールソング」

ユーミンのスクールデイズソングの定番は「卒業写真」がとても有名ですが、そのアンサーソングと言えばいいのでしょうか? これも有名な「最後の春休み」という歌があります。

前者が荒井由実時代のヒット曲、後者が松任谷由実になってから書いた曲です。その内容は少し時間軸を少しだけ過去の方に巻き戻したような感じになっています。

この二曲がスゴいのは、誰もが人生のある時期に過ごす学生時代に経験する淡い恋や片思いの記憶をくすぐるように刺激して離さない饒舌さです。

■「最後の春休み」
作詞:作曲:松任谷由実

春休みのロッカー室に
忘れたものをとりに行った
ひっそりとした長い廊下を
歩いていたら泣きたくなった

目立たなかった私となんて
交わした言葉数えるほど
アルファベットの名前順さえ
あなたはひどくはなれてた

もしもできることなら
この場所に同じ時間に
ずっとずっとうずくまっていたい

もうすぐ別の道を歩き
思い出してもくれないの
たまに電車で目と目があっても
もう制服じゃない

2番)
窓の近くのあなたの机
ひとりほおづえついてみる
ふたをあけると紺のボタンが
隅のほこりにまぎれてた

もしもできることなら
この場所に同じ時間に
ずっとずっとうずくまっていたい

もうすぐ別の道を歩き
思い出してもくれないの
そよ風運ぶ過ぎたざわめき
今は春休み 今は春休み
最後の春休み

■歌詞の構造分析

歌詞の前に、メロディラインは
(1番)Aメロ→Aメロ→Bメロ→A“メロ
(2番)Aメロ→Bメロ→A”メロ
のような構造になっていて、それほど複雑と言うわけではありません。

(1番Aメロ①)
春休みのロッカー室に  (時間・場所の設定)
忘れたものをとりに行った(行動・動作・目的)
ひっそりとした長い廊下を(情景)
歩いていたら泣きたくなった(感情表現)

この部分では、メイクドラマとしてのはじめの情景描写を行い、場の設定を完成させる働き。(有効な言葉選び→「ロッカー室」「長い廊下」)

(1番Aメロ②)
目立たなかった私となんて
交わした言葉数えるほど
アルファベットの名前順さえ
あなたはひどくはなれてた

密かに片思いを寄せている彼との、切なく希薄な関係の在り方について歌う。「交わした言葉」「アルファベットの名前順」

(Bメロ)
もしもできることなら
この場所に同じ時間に
ずっとずっとうずくまっていたい

叶うことのない恋には必ず付きまとうのが「もしも~なら」という願いであることをユーミンは良く知っている。だからだれもが、うんうんそうそうとアルアル話に共感できることの右代表のようなフレーズでまとまっている。

(二番Aメロ①)
窓の近くのあなたの机
ひとりほおづえついてみる
ふたをあけると紺のボタンが
隅のほこりにまぎれてた

ここで、場面の転換をして教室の場面へと移る。
学校と言えば「教室」であり、片思いの彼の座っていた机と椅子に自分が座り頬杖をつく動作と様子が描かれる。まさに映像的シーン。(有効な言葉選び→「窓の近く」「あなたの机」「ほおづえ」(動作)「ふたをあける」(動作)「紺のボタン」)

もしもできることなら
この場所に同じ時間に
ずっとずっとうずくまっていたい
(淡い希望や願望)

もうすぐ別の道を歩き
思い出してもくれないの
そよ風運ぶ過ぎたざわめき
今は春休み 今は春休み
最後の春休み
近い将来の悲観的な予想と最後に時間的な設定をして、ドラマを締めくくる。

■なぜ「メイクドラマ」殺法の方が表現としてベターなのか?

これは学園ドラマ的な設定ではなく、個々人の学生時代の最も起こりうるであろう、密かな片思いや未完成の青い恋の経験をあるあるで共有したいというもの。

だれしもこのような似た経験がある人ならば、このシチェ―ションに共感できると思うので、とても有効に狙われた表現だと思われます。

よくありがちな卒業ソングには、多く以下のような言葉や概念が多様されます。

さくら、旅立ち、希望、夢、勇気、思い出、友、別れ、つばさ、未来、大空 等々その他これらに類する言葉が多く使われます。

しかし、その多くは具体的でなく映像を伴わない概念の文言です。
ユーミンの場合の「ロッカールーム」「長い廊下」「窓際の机」「ほおづえをつく」「ふたを開ける」「紺のボタン」「隅の埃にまみれる」などの動作をともなう映像的で具体的な表現とは、雲泥の差があります。

前者(ありがちソング)では、映像ではなく主に「想い」そのものが語られるので、例えば10コの想いを語れば、最大10コの想いが伝わるという計算ですが、実は人の想いは語るだけでは全部は伝わりません。

何故でしょう? それはこういうことです。

例えば、送り手であるAさんの想いはAさんの頭の中にあります。それを受け手であるBさんに対して言葉で語っても、言葉の不完全さや言葉に対するそれぞれの概念の違いetc.etcでそのまま全部は伝わりません。

俗にいう「話半分」という状況です。それに人の言葉は記憶に留まりにくく、忘却という自然の法則によって急速に色褪せていくのです。メロディーに乗ってる分かろうじて救われている状況です。

ところが、ユーミンの様に受け手と共有できるような具体的で映像的な場面を設定し、そこで動く人のドラマとして相手にプレゼンを行なえばどうなるでしょう。

人は、映像としての記憶として、長く心にとどめることが可能です。
しかも、そこに「時間的な奥行き」と「空間的な広がり」を持ち込めば、勝手に(自動的に)受け手の中でドラマは増幅されてFIXされていきます。

片や、直接的な想いの語りかけは一見、相手に強いインパクトで伝わるようにも感じられます。対するユーミン殺法では、送り手と受け手の中間に「映像としてのドラマ」を置くので、送り手は一歩引いて距離を置くことでもあります。

なのに、伝わり方としての結果はメイクドラマ(ユーミン殺法)の方に確実に軍配が上がります。これは、実は科学的な結論でもあります。ですから、あなたがシンガー・ソングライターを目指すならば、この殺法を真似しないという手はありません。

そこにこそ、私が「メイクドラマとしての表現」の必要性をことあるごとに何回も訴えてきた所以があります。

ここでは、取り上げなかった名曲「卒業写真」の歌詞も、最初の4行ほどは、「革の表紙」という具体物を使った映像を介してのメイクドラマ殺法になっています。

ほら、そうでしょう。ここでも手法は生きているのです。

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