ユーミンの歌、聖地巡礼「海を見ていた午後」「よそゆき顔で」メイクドラマ10

メイクドラマ

ユーミンの歌で聖地巡礼をするとは、ユーミンが御当地ソングを歌ったと言う意味ではなく、ユーミンの創作したドラマの世界に浸ってみたいという意味であります。

それほどに、彼女が歌の中でドラマ仕立ての名シーンを用意してくれていることと、本当にそのまま恋のドラマ映像にできるほどのクウォリティーを保っているのは、彼女だからこそのスキルだということをご理解ください。

山手のドルフィンは、今も実際に営業しているレストランです。

■海を見ていた午後―聖地巡礼その1―

作詞:作曲:荒井由実

これも著作権の関係で紹介できません。皆さん、それぞれに検索して見てください。

見ればわかる歌詞の言葉ではありますが、その言葉選びの極意を分析するために、番号をふっておきました。

この詩を分析するにあたって。まず「時間的奥行き」「空間的広がり」「言葉選び」の三つの観点を頭に入れておいてください。このことは、ドラマメイクの重要な三要素だからです。

・①~④は、
ドラマで言う所のオープニングにおける場の設定です。
そこは、「ドルフィン」(固有名詞で実際にある店)というレストランで高台(山手)にあります。

「今日もひとりで来た」のですが、実は過去の苦い思い出の場所であり、彼と別れた場所なのです。④は、「三浦岬が見える」という空間的な広がりを入れて、◎◎岬という固有名詞を入れています。

固有名詞とは、ワードとして強いインパクトのあるものです。行ったことのある人には親近感を与え、知らない人には「どこだろう」と想像や検索を誘導します。

歌における常套手段でもあります。
試しに、以下の語句の歌を探してみてください。
・御堂筋
・馬車道

・⑤ 「ソーダ水の中を貨物船がとおる」は耽美的な表現で、グラスの中のソーダ水の淡い色の中を貨物船が通り抜けていく様はとても絵になります。

・⑥ 「失恋」「別れ」という事実をユーミンは「消えていく小さなアワ」に例えて儚いイメージの表現に落としこんだのです。でも、ここに今日もやって来たのは、やはり未練心が根底にはあるからです。そんな、主人公の心の中の葛藤も垣間見えます。

・⑦~⑩は、
「あの時」と言う言葉選びが、「今」との時の隔たりを意味します。それはつまり「時間的奥行き」の表現として、ドラマに膨らみを与えています。

次に「もしも~〇〇なら」という妄想は、ユーミンの得意技殺法でもあります。「最後の春休み」にも、そのような歌詞があります。それは思い出をドラマチックに装えるからでしょうか。

「窓にほほよせて カモメを追いかける」の表現は、明らかに映像表現です。文字面では動詞を使った表現で、そんな小説を書いているのと同じです。小説の読み手は文字を読みながら場面が想像できるのと同じで、歌の歌詞も同じ働きをします。

主人公は、そんな過去の出来事の場面を今思い起こし、時の流れの中をさ迷っているのです。いわゆる時間的な奥行きがここにあります。

・⑪⑫はエンディングです。⑦「あの時」=⑫「遠いあの日」という構造であり、時間的奥行きのダメ押しとでも言えばいいのでしょうか。

今回、少ない行数の詞だったので気合をいれて、歌詞の分析してみましたが、どうでしょうか? 以下に箇条書きでまとめてみます。

・固有名詞「ドルフィン」「三浦岬」の強いワードを用いている。

・空間的広がり(ドラマには不可欠)のある表現を取り入れている。

・「ソーダ水の中を貨物船がとおる」の描写は、耽美的な表現である。

・「失恋」や「別れ」の事実を、儚いイメージのことば(消えていく小さなアワ)に置き換えて表現して見せた。(究極の言葉選び)

・「あの時」「遠いあの日」と言う言葉で「今」との時間的隔たり(奥行き)を持たせて、ドラマのストーリーに奥行きを与えた。

・動的な映像表現
「ソーダ水の中を貨物船がとおる」
「窓にほほよせて カモメを追いかける」
は、ドラマに不可欠な動きを伴う場面を上手く演出している。

・「もしも~なら」の表現はユーミンの得意な技である。

■「よそゆき顔で」―聖地巡礼その2―

作詞:作曲:松任谷由実
みなさんにこの歌詞を紹介できないのが残念です。それぞれに検索して見てください。いい歌です。

この歌を聴くと、私は今どきの若い女流作家が芥川賞を狙って書いたトレンディードラマのワンシーンのように思えてなりません。1番と2番を通して聞くと大体のドラマストーリーが見えてきます。

それだけ映像としてのドラマメイクが成功している歌だと言うことが出来ます。いい言葉選びが、そこにあります。

主人公の「わたし」は、それまで若さに任せてツッパって遊び続けたヤンチャな日々を送ってきたのだ。

ところが、疲れたのか飽きたのか、はたまたそういつまでも遊んでばかりはいられないと焦りを感じてきたのか、こんな刹那的な生活はいつまでも続けられないと悟ったところだ。

遊びはしょせん遊びで、過ぎるとつまらなくなるものだ。2年もすれば飽きも来るし、安定志向にも傾いたりするもの、そこには女の打算も含まれていて、今はお堅い仕事の彼氏もチャッカリとキープしてあるみたいな状況。

そこで心機一転、遊び人生活に終止符を打つべく、観音崎までやって来た。その歩道橋の上に立つと、昔のことが思い出される。仲間内が数台の車で連なって、走り回った思い出だ。その時の彼は白いセリカに乗っていて、助手席は私の指定席だった。

歩道橋の下をその車がくぐり抜けていくような、そんな錯覚にも襲われる。でも、今日という日でそれは最後にする覚悟なのです。そして、遊び仲間たちとの縁も切って明日からは生まれ変わろうというものですね。

大体そんなストーリーになると思います。

この歌にある聖地としては、「観音崎の歩道橋」ということになるのでしょうか。もちろん、その辺一帯を車で走り回った思い出も込みではありましょうが。

ユーミンの若い時代は、確かにトヨタのセリカと日産スカイラインが、スポーツカー然とした好ライバル車でした。今ではセリカという車種はすでにありません。

歌い出しの4行部分は、ユーミン流の場の設定となる情景描写がやはりされている。2番の出だしもそうである。この数行によって観音崎界隈の風景が何となく見えてくるような感じになるから不思議なものです。

以上、荒井由実時代の「海を見ていた午後」と松任谷由実「よそゆき顔で」の聖地巡礼的、ドラマメイク曲の紹介でした。

海を見ていた午後 ユーミン横浜 トリプルコール
https://www.youtube.com/watch?v=6Wbpm2UYTEE
山本潤子バージョン


よそゆき顔で ユーミン

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