この歌、1995年リリース11枚目のシングルとあります。スピッツのグループ自体は1991年デビューでこの歌のシングルリリースまで6枚ほどのスタジオアルバムをリリースしておられるみたいですから、1アルバムで2シングルほどのペースでしょうか?
スピッツのデビューは、ちょうどCDのシェアがレコード盤やカセットテープを凌ぐ時期と符合しています。そこはこの歌を聴く一つのポイントかも知れません。
携帯で歌を聴くと、ギター演奏をバックに楽曲としてはかなりよい仕上がりの歌として聞こえます。ヒットしたのにもそれなりにうなずけるクオリティーがあるように思います。
たぶん90年代に青春時代を送られた世代には、かなりの確率で刺さっている歌であるということが予想できます。さて、それらを踏まえたうえで、私なりにこの歌の歌詞について分析をしてみたいと思います。
ロビンソン 草野政宗 作詞:作曲
1⃣
新しい季節は
なぜかせつない日々で
河原の道を 自転車で
走る君を負いかけた
2⃣
思い出のレコードと
大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげて
しかめつら まぶしそうに
3⃣
同じセリフ同じ時
思わず口にするような
ありふれたこの魔法で
つくり上げたよ
4⃣
誰も触れない二人だけの国
君の手を離さぬように
大きな力で空に浮かべたら
ルララ宇宙の風に乗る5⃣
片隅に捨てられて
呼吸をやめない猫も
どこか似ている抱き上げて
無理やりに頬よせるよ
6⃣
いつもの交差点で
見上げた丸い窓は
うす汚れてる
ギリギリの三日月も僕を見てた
7⃣
待ちぶせた夢のほとり
驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで
生まれ変わるよ
8⃣
誰も触れない二人だけの国
終わらない歌ばらまいて大きな力で空に浮かべたら
ルララ宇宙の風に乗る
大きな力で空に浮かべたら
ルララ宇宙の風に乗る
ルララ宇宙の風に乗る
※説明のしやすさを考慮して、フレーズのかたまりごとに番号を付けました。(1⃣~8⃣)
1について
「河原の道を自転車で走る君」を「負いかけた」のフレーズは、場所と動作が明確でいいと思います。でも、ちょっと気になるのが、自転車で走る君を、僕はどう負いかけたのでしょうか。
「走って徒歩で負いかけた?」「自転車で負いかけた?」「車で負いかけた?」「立ち止まって目で追いかけた?」などいろいろ考えられますが、自転車で行く君を徒歩で走って追いかけるのは、かなり辛いことだぜという意味で、気になったのと、なぜそこが見えないのかは、歌にもう一押し、映像が足りないからだと思います。
「新しい季節は なぜかせつない日々で」のところが、とても曖昧な表現でなぜ「新しい季節」なのかも、なぜ「せつない日々」なのかも見えてきません。映像を少しフォローしてはどでしょう。
例えば、自分が卒業して新しい街に転居するから季節が新しく見えるのか、長い冬のあとの◎◎の花が咲いている季節だから新しい季節なのか、そんなフォローはどうでしょう。
また、例えば、3,4のところで歌うように、誰も触れないほどの、彼女(君)との素晴らしい世界があると言ってているのに、なぜ新しい季節が切ない日々なのかがとても疑問です。
2について
「思い出のレコードと 大げさなエピソード」
ここにも映像が不足しています。何のレコードなのか、CDではなくなぜレコードなのか、大げさなエピソードとの関係は何なのか、分からないこと、見えないことだらけです。
それは、好ましい思い出の好ましいエピソードだろうと予測できるのに、なぜ「疲れた肩にぶらさげて」「しかめつら」なのか?
私にはむしろ、「さっそうと力みなぎるウキウキ状況」のように思えるのですが。
3について
このようなことは、恋人達にはよくあることです。決して「魔法」ではないと思います。ただそれを魔法とか奇跡だとか思えるのが、つまりは恋というものであり、傍目には「おのろけご苦労様です」という程度のものです。
ここでは「ありふれた」と「魔法」という相矛盾する言葉どうしをくっつけた表現の面白さを作者は狙ったのだと思います。それ自体悪くはありません。「つくり上げた」とは、二人の関係のことだと読み取れます。
4について
「誰にも触れない二人だけの国」とは、この恋が上手く成就していることの表現だと思います。それが、空はおろか宇宙まで行ってしまうイメージが歌われていますから、相当な強い絆なのでしょうか。
「大きな力で空に浮かべたら」とは、二人で空に浮かんだ状態だと思いますが、通常は空では偏西風か貿易風かせいぜい季節風に乗るのが定石でしょうか。僕は「宇宙の風」を想像できません。大気がないのに風が起こるわけがないと思います。
大気のない宇宙空間に宇宙服もつけずに放り出されたら、血液が沸騰して破裂すると聞いたことがあります。ですから、このフレーズにはとても違和感があると同時に、どれほどのひとがこの経験をシェアできるのか疑問です。
せっかくの、サビの部分となるパワーキーワードの部分なのに異論をはさんでしまい、ファンの方がおられたら申し訳ないことです。でもこれを読んでいる貴方、経験したこともない「宇宙の風」に本当のところで共感できますか。
5について
このフレーズの4行部分ですが、とてもいいと思います。
6について
この4行のフレーズは謎だらけです。これは、直前のフレーズの4行とも、直後のフレーズの4行とも関係性の感じられない内容で、なぜこの4行がここになければならないのか、その必然性が見当たりません。
曲全体のモチーフともあまりマッチしないし、どうしたのでしょうか?
「いつもの交差点」ですから、日常のなかでよく通る場所のことでしょう。しかし、そこで見上げる「丸い窓」にどんな意味があるのかは、伝わってきません。この言葉が必要なのでしょうか?
ギリギリの三日月とは、細り新月になる真近の月のことか、それとも半月に向かって膨らみつつある月の状態なのか、いずれにしてもよく月が認知できる夜空の月のことだと思えるので、その明るさの中では見上げた丸い窓が薄汚れているとは認知できないはずだと、私にℍさ思えるのですが。
7について
「待ち伏せた夢のほとり」とは、意味不明のフレーズです。伝わりません。すでに「誰も触れない二人だけの国」に来ているのになぜ、待ち伏せをしなければならないのかまったくわかりません。通常「待ち伏せ」は離れているから近づくためにするものです。
そんな待ち伏せなどしている場合ではないように思います。
「今ここで」とはどこのことでしょうか? 既に宇宙の風に乗って空の上に居るのなら、もう生まれ変わっているはずだと思うのですが?。 疑問です。
※「8」のリフレイン部分は、省略します。
タイトル「ロビンソン」はどこから来たのか?
最後に残る謎として、なぜこの歌のタイトルが「ロビンソン」なのでしょうか?思いつくのは、冒険小説「ロビンソン・クルーソー」、 1965年~68年のテレビドラマ「宇宙家族ロビンソン」、 サイモンとガーファンクル「ミセス・ロビンソン」あたりでしょうか。
宇宙の風になるのだから、「宇宙家族ロビンソン」が一番近いような気もします。ファンの方でご存知の人がいらしたら、教えてください。
ファンの気持ちにはそぐわない記事の内容だったとは思いますが、私としましてはメロディとして悪くない楽曲だと思う傍らで、歌詞としては残念な部分があり、正直に分析させてもらいました。
感 想
メロディとして、ソコソコ成功している歌なのに、歌詞としては支離滅裂な部分があるように思います。少なくともまとまりとして2⃣と6⃣と7⃣のフレーズは曲の中心イメージとはマッチしない違和感を伴っています。
なぜ、そんなことになってしまったのか?
ここからは私の予想ですが、おそらくこの歌はメロディが先に作られて、それに後で歌詞がはめ込まれたものであろうかと思います。
もちろん、いわゆる曲先(曲が先行すること)はたくさんありますが、この曲の場合、いくつかのメロディ部分でフレーズとしてピッタリの言葉選びができずに、テキトウな言葉を粘土でくっ付けてしまうようなことになったと想像できます。
もちろん、作詞者は始めは全体を一つのイメージでまとまるようなドラマメイクをしたかったのだと思います。ところが、いくつかの部分ではメロディの音数に合う、言葉選びができなかったのでしょう。映画やテレビドラマならばその部分をカットして別なものを代わりに挿入したり、或いはカットして前後を無理やりつなぎ合わせて帳尻を合わせるというようなことが出来ます。
でも、メロディが先に存在してしまっているので歌の場合はそうはいきません。そこに、作詞というものの難しさがあります。そういう意味では作詞にはかなりの能力が必要です。
皆さん、比べてみて欲しい例として、無理のない表現が成立している「駒沢あたりで」の歌詞を見てください。カテゴリー「加川良ストーリー」にあります。参考にどうぞ。


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