吉田拓郎氏と松任谷正隆氏の対談から
巷では、吉田拓郎氏のリタイア話に関して色々とざわついているような最近の状況下で、当の本人が松任谷正隆氏のFMラジオ番組で対談している1971年頃からの数年についての当時の話が興味深いものでした。
私は、この二人にどのような接点があるのかについて、よく知らなかっただけに、なおのこと興味深いものがありました。松任谷氏のウィキペディアを慌てて引いてみました。
略歴[編集] 松任谷正隆
• 1971年(昭和46年)、吉田拓郎のアルバム『人間なんて』にミュージシャンとして参加し、以降、アルバム制作やライブにおいてキーボード、バンドマスターを担当する。
• 1972年(昭和47年)、小坂忠、林立夫、後藤次利、駒沢裕城と「小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ」を結成。
• 1973年(昭和48年)、細野晴臣、鈴木茂、林立夫と「キャラメル・ママ」を結成。その後キャラメル・ママのメンバーを中心にティン・パン・アレイに移行。
略歴の初っ端部分ですが、そこからして吉田拓郎氏のアルバム「人間なんて」のアルバム作りに参加している20歳当時の松任谷さんのスタートがあります。
この時のことを拓郎氏が詳しく語ってくれました。参加ミュージシャンのトップには、以下のような名前があります。
プロデューサー:吉田拓郎
• ディレクター:加藤和彦、木田高介
• アレンジャー:加藤和彦、木田高介、小室等、遠藤賢司
というようにありますが、これらの名前の他にも林立夫さんほか、何人もの人の名前が挙がっています。その中に、確かに松任谷氏の名前もあります。
拓郎氏は、このアルバム収録までこれらのミュージシャンとの面識がほとんど無かったそうで、加藤和彦氏に相談したところ、このような人たちを彼が集めてくれたとのことでした。
それで、松任谷氏に関して、「どうしてこんなに悲しいんだろう」という曲の間奏部分を松任谷氏が担当し、ドラムやギターのメンバーにコレコレこうやってみたいな提案をした結果、この曲のアレンジが今現在もその当時のままになって続いているという話でした。
拓郎氏いわく「自分は譜面がかけないので、歌詞とコード進行ぐらいの紙をもとに、ギターでこんな曲だからとデモして見せただけなのに、松任谷氏はその場で曲のヘッドアレンジをして、それが完璧な状態だった。」という話でした。それが、1971年の出来事です。
拓郎氏の眼からは、それは「奇跡的な出来事」だったと語られています。付け加えて拓郎氏はこのように語っています。自分の中で、「加藤和彦、松任谷正隆、高中正義、石川鷹彦は四天王である」というように。
アルバム「今はまだ人生を語らず」への松任谷氏の参加
このアルバムは、1974年のものです。
吉田拓郎氏は、「帰ってきた恋人」という曲(作詞;安井かずみ)のアレンジでの松任谷正隆氏の才能を讃えていました。どうしてこんなメロディが書けるのかということです。
アレンジという仕事は、前奏や間奏、そして歌のバックに流れるいろいろな楽器の一つ一つのメロディなどを作って提案する仕事です。
ですから、歌詞の言葉と歌のメロディ部分以外は、いろんな楽器の演奏内容(つまり楽器の弾くメロディ)の作曲家であると言えるものです。
これが、楽曲全体の出来上がりに大きく作用して、8割も9割もグルーヴに影響を与えるものです。ですから、シンガー・ソングライターを目指す貴方が、将来どのようなアレンジャーと出会うかで将来が決まると言えるかも知れません。
私から、貴方にお願いしたいことは、ハーモニーやコーラスもふんだんに取り入れたアレンジをお願いしたいものです。それに、使用する楽器についても、こだわりを持って、「この曲にはこの楽器だ」と突飛なインスピレーションの湧くようなアレンジャーを起用されてみてはいかがでしょう。
歌が評価されて、幸運にもヒットしたとしても、なかなか、アレンジャーなどの裏方に注目が及ぶことは少ないものです。評価は作詞者と作曲者、そして歌い手が受けることになる。
シンガー・ソングライターの歌であれば評価の独り占め状態になりがちですが、実はアレンジャーの才能とレベル、そしてミュージシャンの楽器演奏の力に大きく支えられてのことなのです。
松任谷正隆の経歴から
先に挙げた松任谷氏の経歴は、その初期の段階から
・小坂忠、林立夫、後藤次利、駒沢裕城
(小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ)
・、細野晴臣、鈴木茂、林立夫(キャラメル・ママ)
・ティンパン・アレー
と実にそうそうたるミュージシャンの方々との交流があっての現在があるというものですね。そう思います。今や氏は、ユーミンの曲のアレンジとコンサートツアーを含めたプロデュースで、余りにも有名ですが。
これらの人たちに匹敵するような才能は、今の若手ミュージシャンで言えば、どのような方なのか、だれか教えてほしいものです。清塚さんなどは、どうなんですか?
ちょっとだけ検索してみたところ、次のような名前が出てきました。
島田昌典、萩田光雄、田中ユウスケ、トオミヨウさんの4名です。
いずれも私には、未知の方々です。才能豊かであられることをお祈りいたします。
最近になって、このブログを書くにあたっていろいろなことを調べる必要があり、調べれば調べるほど感心するのは、一つの世代のミュージシャンたちが網の目のように絡み合って、たくさんの楽曲やアルバムが誕生したのだということが分ります。
そうです。その世代の横のつながりが時代の音楽シーンを席捲し花開いたということでしょうか。団塊世代(ビートルズ世代)としての連帯感が成せる技ですね。
おかしなエピソードとして、松任谷氏と荒井由実さんの新婚初夜の宿泊先に拓郎氏とかまやつ氏他数名で押しかけて、初夜を妨害したという迷惑千万な出来事が笑って語られていました。
破天荒が許された時代? その分、芸術や音楽のはみ出しも多かった時代でしょうか。
アルバム「今はまだ人生を語らず」の中でも、「ペニーレーンでバーボン」という歌の歌詞で「つんぼ桟敷」という慣用句を使ったことで、放送コードやレコード会社の自粛コードに引っかかっているとかです。
そのような言葉狩りにどれほどの意味があるのか、大いに疑問ですが、この国のダメな部分であると銘記しておきましょう。
余談ですが、キーボードディストの松任谷さん、バンジョーやフラットマンドリンも大好きだそうです。最近バンジョーを買ったのだとか。
アルバム「今はまだ人生を語らず」の33:40~あたりに「帰ってきた恋人」ありhttps://www.youtube.com/watch?v=fRUEockl8I8


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