作詞には既視感のない詩情を追求していきましょう

ミュージシャン列伝

「既視感」とは

「既視感」とは、例えば、「サクラ(さくら)」をモチーフやテーマにした歌がたくさんあり、私は前々からヒット狙いの姑息な手法であると批判してきました。そこには、言葉選びも感性(心境)も既視感アリアリの状況であると言えます。

「それって似たような歌が他にあるな」とか「こんな心境の歌って、他にもたくさんある」などの印象を持つ場合には、それは「既視感」があるからです。

今回は、そういうアーティスト精神からかけ離れた安直な手法で、芸術の名に恥じるような行為は止めにしましょうという戒めと提案です。

はじめに断っておきますが、既視感とは少し違いのある類似性というものも実は存在します。例えば、「ブリティッシュ風なロックだなぁ」とか「ウエストコーストぽい」とか「カントリウー&ウエスタン風」などのジャンル性には特段の問題はありません。この二つを混同しないようにしましょう。

この「既視感」という言葉は、テレビ番組「プレパト」の俳句の先生をされている夏井先生がよく使われている概念です。俳句も歌詞も同じで「この手の俳句はよくあります」という場合には、夏井先生は独創的でないという理由で評価を下げられるということはよくあります。

このことは、歌に関しても共通しています。ですから、「既視感」アリアリな歌の歌詞は、評価が下がって当たり前だということを、ここで共通理解致しましょう。

ところが、世の中がこうもネット社会になってしまったもので、ヒットしているという話題性の高さに言葉や感性を寄せて柳の下の二匹目のドジョウ狙いが横行してしまうということが起こってしまいます。

つまり、ヒットなどで話題性のあるタイトルや言葉はキーワードとして、検索にヒットし易いという事情があるためです。

私が命名した「ありがとうソング」の大量排出は、まさにそのような現象の一つです。「ありがとうソング」とは、僕は君の存在のお陰で何とか幸せに生きていられる。すべては君のおかげで、ありがとうね。という金太郎飴のようにどこを切っても同じような感性のものを指して言います。

もちろん、曲名に「ありがとう」の言葉があるわけではないのですが、境地はすべて男から女性へのありがとうソングです。まさに女性受け狙いの媚びた歌なのです。

かつての昭和レトロの失恋歌と同様に、今はありがとうソングが大きな比重を占めています。このような歌が蔓延する一方で、巷ではストーカー殺人事件や身勝手な付きまといが後を絶ちません。先日も福岡の街中で一人の女性が命を落としました。

若い世代の「ありがとう意識」の裏のどこかに、嘘が潜んでいるのでしょうか?

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2022年は、この歌をよく耳にしました。ある意味喧嘩腰に聴こえるようなこの歌、たしかに他にはない「既視感」の少ない歌のようではあります。そこに、人々の関心が集まったのかも知れません。

ただ、私が気になるのは、果たしてこの歌「詩情豊かであるか否か」という点です。詩情が感じられないノイジーな仕上がりには嫌悪感さえ感じます。少なくとも、おかしみとか、ブラックなユーモアとか、思想性のようなものは感じられません。

私は、この歌を聴くためにアクションはまず起こさないと思います。この先、Adoさんには、もっと詩情豊かな歌の制作を期待します。

昭和レトロな不思議な歌

既視感の少ない、不思議な歌があるという意味で、「昭和柔侠伝の唄」を紹介します。
曲の冒頭ではJ.Lゴダールの「男と女のいる舗道」の一説が、女優の緑マコさんの語りで流れます。その後の部分の歌詞を紹介します。

昭和柔侠伝の唄 作詞・作曲:あがた森魚

今宵限りのダンスホール
あなたのリードでステップ踏めば
お別れするのに夜会服が
何とか明日もくうるくると

おいらメトロのつむじ風
ソフトハットをなびかせて
シベリア・ケーキにお茶でも飲んで
銀座のキネマに行きたいナァ

踊ろうか 踊りましょう
せめて 今宵かぎりでも

あなたなんだかおセンチね
もうすぐ外地へお出征しね
あたしも最後のパーマネント
この髪乱して踊りたい

踊ろうか 踊りましょう
せめて 今宵かぎりでも
今宵かぎりのダンスホール
扉閉ざせば明日知れぬ
今風立ちぬ いざ征かん
あすは 異邦のつむじ風

踊ろうか 踊りましょう
どうせ 今宵かぎりじゃない

この歌、戦前の時代背景がよく出ています。それが劇画化された当時(1970年代はじめ)の劇画に触れて作られたのだということですが、その辺のところはよく知りません。

ですが、歌の表現する時代は戦前の日本が大陸へ進出(侵略)していたころの当時の時代が描かれています。「ダンスホール」「メトロ」「ソフトハット」「シベリア・ケーキ」「パーマネント」「異邦」「外地」などの言葉が時代を物語っています。

この当時は「外地」とは、ほとんどが「中国大陸」「朝鮮半島」「台湾」を意味する言葉で、どことなく、明日も知れない不安があり、デカダンで刹那的な雰囲気が漂っていたのでしょうか。その時代背景にこのワルツ仕立て3拍子の唄はよく似合っているようにも感じます。

北海道生まれのあがた森魚さん、ボブ・ディランやジョン・レノンに憧れて、僕もそうなりたいと東京にでてきたのだそうですが、70年代初めにはこんな昭和レトロな感性に共感されていたのでしょう。

イメージとして昭和レトロではありますが、ほとんどはオリジナルで昭和歌謡曲の模写ではありません。あがた森魚さんの独特の感性によってつくられた世界です。

ところで、あなたは「シベリアケーキ」というお菓子(スイーツ)なるものをご存知でしょうか。この当時にはあったのですが、今はほとんど見られないようです。まだ、全国のどこかには残っているとの話はまれに聴きます。

正確ではないかも知れませんが、聞くところによるとサンドイッチのような形状で、間に挟まれているのはアンコです。その断面がシベリアの平原を行くシベリア鉄道をイメージしたものだそうです。私も、どこかでお目にかかることができれば、是非一度食してみたいものです。

先日、竹久夢二の絵や版画を見てきました。明治・大正・昭和を生きてそれぞれの時代に作品を残した夢二ですが、晩年の昭和の頃の作品は、この「昭和柔侠伝の唄」にとてもよく合うような感じでした。時代の空気感がとても似ていると思いました。

以前、別の記事で紹介した「冬のサナトリウム」もこの時代を感じさせますし、アルバムには「清怨夜曲」、「乙女のろまん」「赤色エレジー」など、昭和初期の同時代をテーマにした歌があります。合わせてご堪能あれ。






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