「い・け・な・い ルージュマジック」忌野清志郎と坂本龍一の最強コラボ曲

ミュージシャン列伝

1982年リリース

「い・け・な・いルージュマジック」は、1982年2月にリリースされて、1992年にも再リリースされた曲です。資生堂のCMソングにも採用されました。(CMの依頼が先かもしれませんが、その辺は解りません。)

これは、今は亡き忌野清志郎さんと、今現在、病気と闘っておられる坂本龍一氏のコラボ曲です。YouTubeで二人のその当時の動画がありましたので見てみました。

1982年はYMOの解散前のことですから、坂本氏としてはこのコラボはYMOとダブった状態での活動だったのかも知れません。

画像では二人ともパンクのように派手な化粧をして、変わった衣装でとてもヤンチャな感じに世の中を挑発するようなパフォーマンスの録画のようでした。とくに清志郎氏は、いつもの自由過ぎるやりかたで歌を歌っていました。

坂本氏も、YMOでのクールな感じではなく、そこに愛称としての「教授」のイメージとはちがったものでした。そこには落差があって面白いと考えられないこともありませんが。

そういう意味では、今や世界的に認められて、巨匠と言われる坂本氏の30歳当時のヤンチャな姿が垣間見られるという点で貴重なものだと思います。

巨匠、坂本龍一氏の軌跡

1952年生まれで、東京芸術大学(作曲科)出身の坂本氏、1978年から現在に至る活動では、エレクトロニックな実験音楽から、映画音楽、クラシック、ポップスまで幅広い才能を発揮してまさに巨匠の名にふさわしい活躍をしてこられました。

・YMOの活動(1978年~1983年)海外ツアー等。
・映画「戦場のメリークリスマス」(メリークリスマス Mr.ローレンス)の音楽及び、俳優出演。これは、大島渚監督の作品でデビット・ボウイ氏の主演でした。北野たけしさんの異様な演技も話題を呼びました。
・映画音楽「ラスト・エンペラー」担当兼俳優出演。(1987年)は有名です。これは、日本人で初めてのアカデミー音楽賞を獲得し、これによって坂本氏は、世界のサカモトとしての地位が築かれたといえるものでしょう。

因みに坂本氏本人いわく、ベルドリッチ監督の要求は「西洋と東洋」そして「過去と現代」の同居したテーマ音楽を作ってくれというものだったらしいです。非情に高いレベルの要求のようですね。

その後、「シェルタリングスカイ」(1990年)、「リトルブッダ」(1993年)、「レヴェナント」などの映画音楽担当の他、アニメやビデオゲームの作曲家やシナリオライターとしても活動しています。すごく多彩ですね。
・現在までのこの間、たくさんのアルバムをリリースしています。これにYMO時代のものを加えると相当の数に上ります。

あまりにもざっくりとし過ぎた説明になってしまいましたが、アカデミー音楽賞の受賞を始め、ゴールデングローブ賞等、多数の受賞歴とノミネート歴があります。

世界的な名声の持ち主である坂本氏は、以前から社会情勢や政治などに関する積極的な発言や態度表明をしてきた人でもあります。今般のウクライナ問題にあたっても、ウクライナのバイオリニストであるイリア・ボンダレンコさんとコラボレーションした新曲を公開しています。

この曲は、世界中の作曲家が集まったアルバム「For Ukraine」にも収録され、収益はウクライナの被災した子どもや家族に対する支援に使われているとのことです。

キング・オブ・ロック、忌野清志郎の軌跡

RCサクセション誕生

・1968年結成時にそれまでのいろいろな経緯を含めて「RCサクセション」と命名。

・1969年、テレビ番組「ヤング720」のオーディションに合格。続いて東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションで第3位となり、この模様を収録したオムニバス盤が初めての公式音源となる。収録曲「泥だらけに海」

・1970年、「宝くじは買わない」でシングル・デビュー
・1972年、「ぼくの好きな先生」がスマッシュヒット。1stアルバム「初期のRCサクセション」リリース。

・1974年、当時のマネージャーがホリプロに造反。独立して「りぼん」を設立。RCはホリプロ内で干されることになる。

・1976年、ホリプロから「りぼん」に移籍。3rdアルバム「シングル・マン」がリリースされるも、1年後に廃盤。収録の「スロー・バラード」は以後も根強い支持を受ける。

・1978年、破廉ケンチが抜けた後、仲井戸麗市(元「古井戸」)が参加して、パンク・ロックのバンドの様相となる。

私などは、もともと「ぼくの好きな先生」のイメージが強くあり、異色のフォークグループというイメージがありました。

・1980年、「雨上がりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」
・1983年、「い・け・な・いルージュマジック」
・1988年、「ラブ・ミー・テンダー」
・1991年、「スローバラード」再リリース、無期限の活動停止
(他は省略しますが、様々なジャンルとのタイアップなど活動は多彩です)

1991年~2009年

RCの活動停止以後、忌野と仲井戸はライブで度々共演しRC時代の曲を共有している。
・2007年、「Dream Power ジョン・レノンスーパー・ライブ」
・2008年、「忌野清志郎完全復活祭 日本武道館」

・2009年、5月2日死去(1951年4月2日~)
忌野氏の書く歌詞が、再三物議をかもしていることでも有名で、彼の正直な表現が、大人の社会的事情とアチコチでコスレ合った関係で、レコ倫に触れた感がある。

その象徴的な出来事が、「サマータイム・ブルース」という「原発はいらねぇ」のような訳詞内容がリリースされようとしたときの、発売停止事件だった。

日本社会が、硬直的なためにそれらのことが人目に触れにくいように隠されてしまう状況そのものには、少なからず問題があると見なければならない。アートの表現者たちには表現の自由が保障されてしかるべきだし、常に権力的なものとのせめぎ合いが存在する。

今思えば、「い・け・な・い ルージュマジック」とは、坂本龍一氏と忌野清志郎氏という二つの異才がスパークして世に放った一瞬の花火のような出来事だったように思われます。







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