一時代を作ったYMO

1952年生まれの高橋幸宏氏は、中学時代には既にバンドを組み、高校時代にはスタジオミュージシャンをされていたとか。早くからドラマーとして才能を発揮されていたのですね。
同時に、服飾のデザイナーとしてファッションブランドも経営されていたとのことです。あのYMOメンバーのお揃いの奇抜なファッションもすべて高橋さんのデザインによるもの。
YMO以前の高橋さんは、加藤和彦氏のサディスティック・ミカ・バンドの所属で、つのだひろ氏がバンドを抜けたその後継として入ったのだそうです。このグループ、既にイギリスで人気のあったバンドですね。なにか奇遇です。
そして、1978年YMO結成時に細野晴臣氏に誘われたということです。
YMOの活躍とその系譜

1978年~1983年、5~6年間の活動したこのグループには、とても異次元の世界的活躍があり、その目まぐるしい活躍にはどこかビートルズを思わせるような特異性を感じます。
このグループの活動の場は、初めから海外が想定されていたような感じであり、日本でのヒットは凱旋後という状況でしょうか。それほど世界で一番新しい音楽作りであるとの自負がグループにあってのことだったと思います。
イエロー・マジック・オーケストラの「イエロー」とはまさに黄色人種であるアジア発であるとのプレゼンなのだと思います。欧米の音楽シーンへのアジアからの殴り込みみたいな感じでしょうか。
確かに、その後コンピュータ音楽はたくさん音楽に取り込まれましたが、今でも「ライディーン」と「テクノポリス」のメロディーはどこか人間的な響きさえあり、秀逸で古さはありません。
私は、九州の田舎町の育ちですが、当時、街のメイン通りを車高を極限まで低くしたシャコ短のスカイラインなどの車に乗った暴走族のお兄ちゃんたちが、この曲を音量マックスで高々とかけながら行ったり来たりしていたのを思い出します。
突っ張りの兄ちゃんたちは、キャロルの矢沢永吉一辺倒かと思いきや、あの時期だけはライディーンとテクノポリスだったのです。
♬チャンチャンチャーン チャチャチャ チャッチャカチャッチャチャー♪♬ のフレーズが窓全開の車から町中に大音量で流れていました。
■アルバム多数
1978年:イエロー・マジック・オーケストラ
1979年:ソリット・ステイト・サヴァイヴァー
1980年:パブリック・プレッシャー
1980年:ワールド・ツアー1980
1980年:X∞Multiplies
1980年:増殖
1981年:BGM
1981年:テクノデリック(6作目)
1983年:サーヴィス(8作目)
1983年:浮気なぼくら
1984年:アフター・サーヴィス
1991年:フェイカー・ホリック(ライブ)
1992年:コンプリート・サーヴィス
1993年:TECHNODON
その他~多数あり、活動期間の短さに対してアルバムの多さに驚きます。

■メンバー
細野晴臣
・1947年生まれ1969年~ :ミュージシャン、ベーシスト、シンガー・ソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー
・多彩な肩書を持ち、担当する楽器も数多く多彩です。
・組んだグループ:エイプリール・フール、はっぴぃえんど、ティン・パン・アレー、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)、フレンズ・オブ・アース、HIS、スケッチ・ショウ、ヒューマン・オーディオ・スポンジ
このように、その多くの軌跡が伝説的な意味合いを持ち、日本語のロックの草分け「はっぴぃえんど」という評価は当たっています。また「ティン・パン系の音楽」として、ユーミンや山下達郎などたくさんのミュージシャンがカテゴライズされていた時期があります。
つまり、日本のロックやポップスを語る上で欠かせないキーマンであることは確かです。今でもニューヨークライブなどの話も聞きいます。
坂本龍一
ウィキペディアによると1952年生まれ、東京出身。作曲家、編曲家、ピアニストなどの肩書があり、1978年からの活動スタートとありますから、YMOの結成と同時期ですね。ですが、その以前(直前)の活動もあると考えられます。
芸大の「作曲科」出身ということそれ自体スゴイことなのですが、私は氏についてあまり詳しくはありません。YMO解散の忌野清志郎氏とコラボしていた時期もありますね。パンクっぽく化粧をして二人で「いけないルージュマジック」を唄っていたのが、まさにそれですね。
また、YMOの以前はやはりアレンジなどでアルバム作りに参加していたとの話があります。
例えば、角川映画の「スローなブギにしてくれ」の曲などがそれではないかと思われます。ですが詳しくは解りません。
決定的に彼を有名にした事柄は、ロベルト・ベルドリッチ監督の映画「ラストエンペラー」の音楽を担当して1988年にアカデミー作曲賞を受賞したことです。氏はその映画に出演もしていたのですが、何と言っても主題曲が賞をとり、他にもいくつかの映画の音楽を手掛けています。
日本映画では、大島渚の「戦場のメリークリスマス」に出演、音楽担当をしたこと、こちらの方が日本人にはなじみ深いかも知れません。
その他、あの高橋尚子さんがマラソンで優勝したバルセロナオリンピックの音楽担当を行なったことも有名です。これまで、世界中で起こる政治的な出来事にも積極的に意思表明をしてきた物言うアーティストとして、日本人には珍しい活動家です。拠点がアメリカにあるということも大きいのかも知れません。
今現在、彼はがんの進行で、最後かもしれないというピアノ演奏の配信活動を2022年12月に行いました。まだ、70歳のこれからも十分活躍できる年齢です。ご多幸をお祈りします。


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