作詞:作曲:はっとり
僕には何もないな 参っちまうよもう
とっておきのセリフも 特別な容姿も
きみがくれたのは愛や幸せじゃない
とびっきりの普通と
そこに似合う笑顔だ僕でよかったかい?
こんな僕でよかったのかい?
なんて訊いたりしないよ
だって君がよかったんだ
そんな僕の予感なんだからだは関係ないほどの心の関係
言葉が邪魔になるほどの心の関係会いたいとかね
そばに居たいとかね
守りたいとかね
そんなんじゃなくて
ただ僕より先に死なないでほしい
(後略)
■これぞ凡人中の凡人の歌詞
この歌詞を見て(読んで)、私はどうコメントしたものかと頭を抱え込んでしまいました。
「具体性がない」「目に浮かぶ画像がない」「動きの感じられる(動詞)がない」の、まるで三ナイ運動でもやっているのかと思うほどであります。
だから映像が伝わってこない、動きのある具体的なイメージが持てないので、こちらからわざわざ斟酌してお迎えに行ってやらないといけないような出来の悪い子どものような歌となっています。
もしも、こんな歌詞を書いて悦に入るようなことがあるとしたら信じられません。
この先は斟酌ですが、歌詞のモチーフとして、「自分に自信の持てない、たいして風采も上がらないような自分だけど、恋のようなものをしている。ラッキー!」みたいな男子の心情を歌いたいのであれば、それらしく、他の言葉でもっとましな書きようもあろうかと思います。
かねてより、そんな心情を歌う歌はままありました。
「僕はジュリーでもなく、スターになるには程遠い」とか、「僕は何をやってもダメな男です」とかの歌詞のフレーズがまず浮かびます。
なのに、歌い出しのはじめの三行は、とにかく曖昧でメリハリがなく、「何を言いたいの?」とじれったくなります。
それに続く二行
「とびっきりの普通と
そこに似合う笑顔だ」
「普通であること」に価値があるということを強調したいのかもしれないのですが、その程度のことを歌いたい、歌にしたいという心境っていったい何?と思ってしまうのです。パッションやシンパシーのない、今どきの若い人にありがちな諦めに似た感情というものは、歌にする必然性がどれほどあるのでしょうか?
恋のようで、恋とも言えないような、出来損ないのゆで卵みたいな恋で、ほんとにそれでいいのと言ってあげたくなる。
肉体的なものには向かわない、まるで老人ホームの中でのお茶のみ友だちの話を聞いているのかと思うほど。いい若者が、もう死ぬ時の事を考えているなんて、若いジジイじゃん。という読み取りも成立しそうです。
「恋のようなもの??」というほどの薄い動機で、どうしても歌にしなければならない必然性が見えてきません。今の若い人たちには、それよりももっと切実な事情がたくさんあるように思います。
例えば、非正規のアルバイト生活では、今夜の飯さえ食えない人がワンサカいるように思います。「生きていく」そのものが課題の人も多いでしょう。そんな歌のほうがスゴミが生まれるかも。
申し訳ございません。私の場合はマカロニさんのこの手の歌には興味が持てません。そこで、私なりに考えてみてこの歌詞に手を加えてみましょう。
作詞のはっとりさんと言う方には失礼となる行為ですが、あくまでもこのブログ上で完結することですのでお許しください。シンガー・ソングライターを目指す方々の為になればという思いですので。
■もっと選べる言葉が他にあるとしたら?
◎(出だしに置き換えて)
ぼくは、鏡なんて見ない
インスタ映えもしない
そんな10人並みの男です
こんな出だしなどはどうでしょう。
「鏡」という具体物は誰にもイメージできます。
「インスタ映え」「10人並み」という強めの具体的なワードを盛ってみましたが、どうでしょうか?
◎続けて
ぼくは心配なんだ
こんな僕でよかったのかい
そう聞くのが怖い
胸の奥にチクリと小さな痛み それは
もしかして恋の予感なのかも
どうでしょう。「心配なんだ」「怖い」という感情の挿入。「痛み」という、誰でも共有できそうな肉体的感覚表現を取り込んでみました。少しは、良くなったと思います。
「こんな僕でよかったのかい」のフレーズと、「予感」の語句は原曲から拾って残しました。作者への敬意でもあります。
他にも例えば「赤いワンピース」とか「ダメージジーンズから覗く膝っ小僧」など可視的な画像のある言葉を放り込むともっと歌のイメージが膨らみます。
そうやって、具体物や目に浮かぶような画像的言葉、表現に動きを与える動詞などを持ち込むのです。貴方が、シンガー・ソングライターを志すのであれば、このことを忘れないでください。
それにしても、これでもよくある普通の歌に少しだけレベルアップした程度です。
貴方が歌詞を作る時に「等身大の自分を歌う」なんてことは止めて欲しいと思います。貴方の親兄弟でもなければ、そんなものに期待などしないし、興味がないことだからです。
ましてや、自分の想いをダラダラと語るだけでは、何も伝わりません。「その人の思い」は背景にあるものとして、聞く側に感じさせたり、読み取ってもらえるように、映像的な表現や動きのあることば、そして究極の言葉選びによってドラマメイクをするのです。
「ドラマ」>「思いを綴る」の原則を忘れないでください。
思いの語りだけで歌うグループやシンガーがいることは、私も知っています。
それでもメロディーがそこそこ良かったりするとと、そこに引かれてよく聞こえたりすることはあります。ラップなどはその究極の状態だと思いますが、モンパチやデフテックはその中間くらいでしょうか。
そこには、情景描写もなければ、動きのある動詞的言葉も、時間的奥行きも、空間的広がりを表現する言葉の選択も乏しいと思います。歌のイメージスケールが大きくならないという意味でそれは、同時にそれらの曲の弱点だと思います。
■ことばだけの語り曲
先ほど「ダラダラと語るだけでは~」という表現をしましたが、メロディを敢えてつけないで語る歌というものも稀にあります。
よく知られているのでは、加山雄三さん「君といつまでも」でしょうか。
しあわせだなぁ
ぼくは君といる時が一番しあわせなんだ
ぼかぁ 君を死ぬまで離さないぞ いいだろう
有名なフレーズで、曲間の間奏の代わりに挿入されるスタルです。後に、憂歌団がこれをコミカルに歌い爆笑を誘って話題になりました。
次には、「母と子のバラード」(武田鉄矢)でしょうか。
「こら、鉄矢なんばしょっとか」の博多弁ではじまるコミカルな語りです。
個性の強い母ちゃんとその子供という設定での物語がそこにあります。語り曲ですから、ダラダラとした多弁な作りですが、背後の物語性が弱点を救っています。
さらには、「下宿屋」(加川良)ですね。僕はこの語りのフレーズが割と好きで、そこに描かれた世界観に引かれたりします。
京都の秋の夕暮れは
コートなしでは寒いくらいで
丘の上の下宿屋は
いつも震えていました
で始まるものですが、メロディのない語りだけの部分なのに言葉は他を寄せ付けないほどに、既に選び抜かれていて、そこに、ドラマが成立している感じです。
僕は だれかの笑い顔が見られることより
うつむきかげんの
彼を見つけたかったんです
と言う風に続いていくのですが、長いので以下は略します。
4つ目ですが、あまり知られていない語りの歌に宇崎竜童さんの「スプリングセールブルース」という語り歌があります。
訳すると、「売春ブルース」となります。その内容はスゴいテンポで語られる竜童さんの語り歌です。
男が、若い田舎娘に春を売らせて一緒に金儲けをしようぜと説得するというもの。その饒舌なスケコマシ語りが見ものです。笑えます。一聴の価値ありというところでしょうか。
「語り歌」は、語りだけで勝負するものですが、語りを通してドラマを描くと言う意味では、聞く人に画像をイメージさせるものです。
なので、「なんでもないよ、」(マカロニえんぴつ)のように想起させられる画像イメージの少ない、ドラマメイクになり得ていない歌とは違います。
若い人たちのグループが、同世代や少し下の世代の人たちにウケてヒットすることはよくあります。
でも世代を超えてスタンダードになるとか、10年後にも幼稚に見えないクオリティの出来映えであるとかのことを考えた時には話は別です。
若くして、ライターを目指す皆さん、キーワードは「ドラマメイク」ですよ。この講座は普遍性のある表現を目指す講座です。心してかかりましょう。


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